2011年10月28日金曜日

羽田国際空港のサービス―気配り―

以前、羽田空港で、「ああ、日本に帰ってきたなあ」と思う出来事があった。今日の日経ビジネスオンラインの記事「新しい海外への玄関口:羽田旅客ターミナルのサービスの裏側」を読んで、記事の内容とは直接は関係ないのだが、その時のことを思い出した。

私が「日本に帰ってきたな」と思ったのは、いわゆる「気配り」のサービスを受けたことである。

帰国して羽田に着いてからのこと。

①スーツケースの受取りで
ぐるぐる回っているところからスーツケースを取ったときのこと。私は一応自分のスーツケースかどうか、タグを見て確認することにしている。チェックインの時につけられるタグに名前が書かれているので、確認しようと思ったが、名前が書いてあるところが見当たらない。タグの白い紙をあれこれ見て、たぶん???という表情をしていたのだろう、
「ご協力ありがとうございます。お分かりでしょうか?」
何といったか正確には覚えていないのだが、こんな風に声をかけられた。ちょうどその時、名前が書いてあるところが見つかった。
その時は、これだけで声をかけられるんだ、と、ちょっとびっくりした。

②京急の改札口で
改札口はSUICAで入ったのだが、残金が残り少ないことに気づいた。改札のすぐ横に精算機があり、電車が来るまでに時間があるので、そこでチャージをしようと思って近づいた。見てみると、SUICAがチャージできないように見えたので、カードを手にしたままホームへ行こうとすると、
「SUICAのチャージですか?できますよ。」と声をかけられた。
改札のところに駅員さんが立っていた。
再び精算機に戻り、チャージ完了。

この二つが立て続けに起こった。びっくりというか感心した。
どちらも、私の動きを見て、何をしたいのかを理解した。そして、そこで必要な手助けをしようとしてくれた。

日本だから当たり前だと思うかも知れないが、そうでもない。
実際、某携帯電話会社では、そのあまりの応対に唖然としたことがある。
電話機を買いに行ったのだが(それも、古い携帯だと今後使えなくなるので早急に買い換えるようにというメッセージが頻繁に携帯会社から送られてきたから買いに行った)、
店員「こちらには在庫がありません。」以上。
私「どちらの店に行けばありますか。」
店員「それは店ごとに管理していますからこちらではわかりません。」以上。
私「じゃあ、この近くに他の店はありますか。」
店員「二店あります。」以上。
私「それはどこにありますか。」
……
という会話が交わされた。
(途中から不快感が顔に出ていたかもしれないが、一応大人なので、丁寧に応対しようと心がけた。)

その後、その店員のどこに腹を立てたのか、考えた。その店員は、私のその質問に直接答えていただけだ。私が腹を立てないようにするには、私が何をしたくてその質問をし次にどういう行動をしようとするかを考えて答えることだ。

実はこの「気配り」という言葉、学生たちに説明するのが厄介な言葉だ。なのに、何かを読むと、よく出てくるし、「気配り」という意味がわからないと全体の意味がつかめないことも多い。いつもどうやって説明しようかと頭を悩ませていたのだが、「気配り」のない応対を受けて「気配り」が感覚ではなく理解できた気がした。

「気配り」は心ではない。頭だと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿