2011年3月7日月曜日

道具を使う(尺八でジャズ Bruce Huebnerさん)

きのう、縁あってBruce Huebnerさんの演奏を聴き、お話を聞いてきた。
ブルース・ヒューバナーさんオフィシャルホームページ
http://brucehuebner.com/
木の多い大学キャンパスで、暖かい日差しの下、気持ちのよい1時間半だった。こじんまりとしたコンサートだったので、尺八の音色は最初から生だったが、お話はマイクを通してだった。なぜか途中でマイクが使えなくなってしまい、途中からは、生の音色と生の声。これが考える以上に、心地のよいものだった。なんというか、体の中に、音色と声がすっと入っていく。演奏している人と聞いている人が一体となってその場の空気が作られていく。そんな感じだった。

お話の中で印象的だったのが(うろ覚えの記憶だが)
今の学校教育ではリコーダーを使うが、リコーダーは子どもたちがどんな吹き方をしても音が出る。でも尺八は、自分が吹いた音を聞きながら吹き方をコントロールしていかないと音が出ない。自分の耳でしっかり聞いて、吹く。それはとても大事なこと。学校でももっと尺八を利用してほしいと思う。
という内容だったと思う。

道具と使い手との関係。道具が勝手に独立してあるのではなく、それを使う人とともに使った結果が出る。
私は「言語はコミュニケーションのツールだ」という言い方がなんとなく好きではないのだが、その理由を考えると、私はそういう言い方の中に、「ツール(道具)」=無味乾燥なもの、というにおいを感じてしまうからだと思う。ボタンをポンと押せば、何かができてしまう。お風呂のボタンを押すと、設定した温度・水量で、お風呂がわく。「おお、すごい!」という、そんなツール(道具)をイメージしていた。
ヒューバナーさんも話の中で「日本語は私にとってはツールだ」と言っていたが、尺八的な意味でのツールなら、悪くないように思った。自分の発した言葉を自分の耳で聞いて、その場にいる人と作りだされる空気を感じて、そして、またツール(道具)の使い方をコントロールしていく。言語はそういうツールなのだ。