2011年4月21日木曜日

初めての職場で学んだこと

最近、ふとしたことから、一番最初に勤務した学校でのことを思い出した。
勤務したと言っても、当時私はまだ大学院生で、大学に通う傍ら、ある高校で非常勤講師として授業を持っていた。週に2日しか行かず、持っていた時間も7コマと少ないものだったが、色々な先生と知り合うことができ、学んだことも多かった。最近の学校現場は忙しくて若手の指導ができていない、ということをメディアからも耳にするし、学校に勤める友人もこぼしていたが、当時の私の勤務校では、少なくとも私にとっては、「職場での学び」があった。

特に、今でも思い出すできごとが三つある。

テスト監督をしていて、筆箱の中にカンニングペーパーを隠しているように見える生徒がいた。その生徒は、筆箱から紙を取り出そうかどうしようかという態度をしていた。どうしよう、とあせった私は、とにかく、テスト時間中ぐるぐる教室の中を歩きまわり、その生徒に何度も近づいた。幸い、カンニングペーパーは出さずに、テストは終了した。
その生徒のクラスの担任は、私と同じ国語科でもあったので、以前から話したことがあったので、相談した。
私「今日、○○さんがカンニングペーパーを筆箱に入れていたように見えたんですが…。見ないでテストが終わってくれたからよかったんですが、そういう時、どうしたらいいんでしょう?」
K先生「ああ、○○ね。やっちゃうかも知れないなあ。そういう時はね、横に行って、机をトントンって叩いてやるんだよ。『見てるよ』ってことを伝えるために。」

高三のある生徒から、大学入試の勉強を見てほしいと頼まれた。塾で勉強しているが、テキストの内容がわからなくて困っているという。その生徒の勉強を見たあとで、その生徒にこう言われた。
生徒「先生、ぼく、受かるかなあ?」
その生徒は、野球部の特別枠で入学してきた生徒で、勉強ができるほうではない。勤務校は大学の付属の高校だったので、普通にしていれば推薦で大学に進学できる。上の大学に行かないのは、希望して他大学や専門学校を受験する生徒か、推薦に成績が達しなかった生徒だ。その生徒は、明らかに後者のほうだった。
情けない話だが、その時の私は、一瞬どう答えていいか、困ってしまった。結局、何と言ったのかよく覚えていない。
この時もまた、K先生に相談した。
私「(状況を説明)、無責任に『大丈夫よ』とも言えないし、なんて答えたらよかったんでしょう?」
K先生「男はね、気が小さいんだよ。そういう時はね『はい、太鼓判!』って言って、背中をポンと叩いてあげればいいんだよ。」
(当時、「太鼓判」とはんこをかけたCMが流行っていた。)

私のつまらない悩みに、K先生は否定的なコメントをすることもせず、私の悩みをそのまま受け入れた後で、的確で具体的なアドバイスをくださった。当時の私にとって、なんと心強かったことだろう。

もう一つは、直接の指導ではないのだが、職場での先輩の心配りである。
勤務校は大規模校で、一学年にクラスが10以上あった。同じ教科を複数の先生が担当し、テストは共通問題、というのがきまりだった。テストの作成は一人の教師が担当し、私にも順番が回ってきた。テストは作成したあと、問題用紙を事前に担当の先生方に配ることになっていた。テストの直前に、ある大御所の先生から
「ちょっと、問題用紙もらってないよ!!困るんだよこういうことじゃ。教えてないところが問題にあったらどうすんの!!!!!」
職員室で大声で叱られた。
一年先輩のS先生が直後に私に声をかけてくださった。
「ちゃんと配ったんだよね。あの先生の机、ごちゃごちゃしていて、となりの先生の書類とも混ざっちゃってるから、どっかに行っちゃったんだよ。しょうがないよ。いいよ気にしないで。」
その優しい言葉に救われた。

当時の勤務校は、大きい職員室と小さい職員室と二つあり、私は小さい職員室にいた。週2日しか行かない私にも専用の机があった。非常勤講師の数が専任の教師の数よりも多く、非常勤講師の待遇も悪くなかった。病欠をしても時間給が支払われ、ボーナスももらえた。私がやめた次の年からは、非常勤講師も保険にも加入できるようになった。
先生方とは、休みの日にテニスをしたり、研究会に誘ってもらったり、テストの最終日にはいっしょに食事にでかけたりと、様々な交流があった。
また、小さい職員室は、すぐ横に喫煙室があり、休み時間は先生たちがたまっていて、喫煙室は煙でもうもうとしていた。前述のK先生もよくそこにいらした。

当時の私は、人に相談するというのがあまり得意ではなかった。何でも自分でまず解決しなければ、という変な考え方があった。そんな私でも、専用の机があるという居場所感、喫煙室での雑談等、話がしやすい環境が影響していたのだと思う。

私は本当に恵まれた新人だった。