2013年6月10日月曜日

【本】ヒーローを待っていても世界は変わらない

ヒーローを待っていても世界は変わらない
ヒーローを待っていても世界は変わらない湯浅 誠


本屋で手にし、「はじめに」のところで
本書は、民主主義についての本である。
と書いてあるのを見て買った。最近、「民主主義」がどうも気になってしょうがなかった。「民主主義」が気になったことはとりあえずさておいて、本書の感想。
 今まで考えたこともなく、本書を読んでなるほどと思ったのが民間と行政の違い。湯浅氏は内閣府参与になって政策づくりに携わった。その経験から民間の活動と行政の違いを次のように説明している。
民間の活動というのは、賛同者だけで運営し、趣旨に反対の人たちは関係がない。没交渉です。だから、内容的には濃く、やりたいことをやりたいようにできる。ただし、趣旨に賛同した数十人、数百人でやることですから、それで日本全国をカバーすることはできません。「内容は濃いが範囲は狭い」、これが民間の活動の特徴です。
一方、行政の場合について、本書に書いてあることをまとめると
「税金を使う」から「趣旨に反対する人のお金も使う」ことになる。したがって、政策を形作るには合意を取り付けなければならない。強い賛同がなくても、強硬な反対のないくらいの合意をつくる努力をしなければならないし、反対意見にも配慮していかないといけない。その結果、調整を重ねると、妥協の度合いが増えて内容は薄まっていく。その代わりにカバーできる範囲は広い。「薄く広く」が行政の特徴。
この後「誰が反対意見と調整するのか」という文が傍点つきで出てくる。この「反対意見との調整」が民主主義のポイントだと本書は言っているように読めた。

 話は少し横道にそれるが、私は若い頃「民主主義は多数決だ」と言われ、なんと言っていいかわからなかったことがある。何について話していたのか、もう遠いことなので忘れてしまったが、その時のこの言われたことの意味は「日本は民主主義の国だ。民主主義とは多数決で決めることだ。だから、多数派に従わなければならない」そんな内容だったように思う。確かに、国会も多数決で決めるし、学校でも多数決で決めるし…でも、何か違うような気がしていた。
 いきなり多数決で決めるわけではない、話し合いをして意見交換をしてから多数決で決めるのだ、だから多数派の意見のみで決めるわけではない、とも言えるが、でもそれって、結局は多数決なのではないか、と思う。以前「みんなで意見を交換しました、みんなそれぞれ違う意見があることがわかりました、違う意見も尊重しなければいけません、以上」という議論から脱却できないという話を聞いたことがある。意見交換しても、誰も何も変わらない、違う意見があることがわかったといっても、そんなことある程度は、想定済み。議論したからといって何がどうなんだ。そんな感じだ。単なる議論の場合は、それでも済むのかもしれないが、何かを決める時に、同じようなことが起こったらどうか。結局、最初と変わらない。意見交換をしてもそれは、形式だけのものになってしまう。意見交換はするはするけどね、でも結局は多数決だよ、という声に違和感を感じても、反論はできなかった。

 「反対意見との調整」、この言い方は非常に納得が言った。意見交換でもなく、話し合いでもなく、「反対意見との調整」。その結果は妥協という、あまりいいイメージではない言葉で表されるが、ようはそうなのだ。
 「民間なら」とか「民間の手法で」とよく言われるが、それを不適切なところで応用すると、「反対意見の調整」をしないで、時の政治家の好きなようにそれに賛同する人だけですることになる。それは、反対意見側を全く無視したやり方だ。自分が賛同する側ならいいが、反対する側だったら横暴だと思うのではないだろうか。 
「強いリーダーシップ」待望論、決断できる政治への期待感は、一言で言うと利害調整の拒否という心性を表している。
自分たちは要求はする、しかし調整はしないという態度は、結局「誰かが調整してくれ。ただし、自分の要求を通すように」と言っていることと変わりません。しかしそれは、正反対からも同じように要求している人がいる以上は、実際問題としては不可能です。
最近、選挙のたびに、「強いリーダーシップを発揮できる人がいい」という街の声を拾った報道を目にするように思う。独裁的なものをなぜ望むのだろうと不思議だった。強いリーダーシップと独裁とは違うと言うかもしれない。でもどこが違うのかわからなかったが、これで納得した。「誰かが調整してくれ。ただし、自分の要求を通すように」、その通りなのだと思う。
 何か意見や希望を聞いて「なんでもいい」という人の言葉を私は8割ぐらい信用していない。中には本当に「なんでもいい」と思っている人もいるのだが、そうではない人は実に多い。「何が食べたい?」「なんでもいい」「じゃあ、○○は?」「えー、それはちょっと。」というよくある会話である。強いリーダーシップを望むことは、「とにかく何でもいいから決めて下さい」という考えだが、この「なんでもいい」も本当は何でもよくはない、「私の希望の範囲内でなら」なんでもいいだし、もっと言ってしまえば「私が喜ぶようなものを何か」という希望なのだ。
民主主義というのは、まず何よりも、おそろしく面倒くさくて、うんざりするシステムだということを、みんなが認識する必要があると思います。「民主主義がすばらしい」なんて、とてもじゃないが、軽々しくは言えません。
「反対意見との調整」をきちんと自分も参加してする。何年かかっても何も決まらない、と少し面倒に思っていたことがあったのだが、そういう自分の姿勢はよくないと反省した。特に緊急なことではない限り、反対意見との調整をしていく。まずは身近なところからだ。