2012年10月28日日曜日

日本が好きであること-日系企業で働く

先日、台湾の日系企業で長年働いている方のお話を伺う機会があった。勤務校の他の先生の授業で招いた方だったのだが、「よかったら聞きに来ませんか?」と誘っていただいた。
 お話をしてくださったのは、10年以上同じ貿易会社で働いているFさん。会社でちょうど人の募集、面接をしている最中とかで、面接の時に使う資料も見せてくださった。
Fさんのお話で印象に残ったこと。(中国語と日本語と両方だったので中国語部分は少し心もとないが私の理解したこと。)

①貿易会社の財産は人
貿易会社はものを作っているのではないので、会社の一番の財産は人。人の移動(辞職)はないほうがいい。その為、Fさんの会社では新卒はとらない方針。新卒の場合、会社のことをよく知らないから、他の会社がすぐよく見えてしまって移動する。

②面接での質問「今の仕事に不満は?」
①で書いた通り、新卒は取らないので面接に来る人は必ず転職組。転職するには、今の仕事に何らかの不満があるということだから必ず聞く質問。

③面接での質問「日本についてどう思いますか」
これはとても重要なポイント。(話の中で何回か出てきた)好きなことが大切。特に日本向けの営業では日本が好きなことが先決条件。以前、中国大陸での例だが、スタッフがきちんと働いてくれない、やめていく人が多いという問題を聞いた。その人に「働いている人は日本が好きですか?」と聞いた。好きなことが大切。

④面接での質問「何か質問がありますか」
面接に来たら、質問は必ずあるはず。ないというのはおかしい。例えば「どんな業務になるか」「勤務時間は何時から何時までか」など。ネットで会社の状況を下調べしておくこと。

⑤面接でのポイント
面接で見るポイントとして
1、自信があること
2、内容のある話ができること
3、礼儀正しいこと

⑥大切なのは日本語能力
国際貿易、運搬、などの知識はあとから勉強できる。ことばは短期間ではできない。だからできる人をとる。

⑦日本語能力試験1級が最低条件
履歴書で1級がなければ面接には呼ばない。1級の基礎があれば、ペラペラ話せなくても、1年やればできるようになる。ペラペラ話せるかどうかはポイントではない。

⑧日本語以外の勉強も
日本語だけでなく、何か自分で勉強しておく。


私は個人的にも以前日系会社で働く方から話を聞いたことがある。話を聞いた方のフィルターがもちろんかかってはいるが、とても雰囲気がいいと感じさせる会社と全体的にやる気ない感が漂う会社とある。Fさんの会社はとても雰囲気のよい会社のようだ。これは「日本が好きであること」をポイントにおいているからなのかもしれない。ここまで「日本が好きであること」が大切だとはっきり言われたのは初めてだったので、結構驚いた。そしてそうなのかも…、とも思った。
もう一つ面白かった話。「現場」とは違うということ。「現場」とは工場などのことだが、現場は管理が強く、給料があがりにくいということだった。Fさんも、今の会社へは「現場」からの転職組だ。なんとなく「日系」とひとくくりにしてしまっていたが、そこには大きい違いがあるのかも、と思った。

2012年10月21日日曜日

ケアマネの話術

 数年前からケアマネさんとお付き合いがある。(仕事ではなく、プライベートで)実家の老人のことでケアマネさんにお願いしているわけだが、ケアマネさんにしてもヘルパーさんにしても、仕事ぶりを見ていて「話術も仕事のうち」と感じることが多く、どうやってこの話術を身につけるのだろうと思う。日頃「コミュニケーションは…」などいうことを考えているので、家の事情ぬきに知りたくなる。
 私は多くのご老人を知っているわけではないし、家族に見せる顔と他人に見せる顔は違うと思うので比較はできないのだが、でも、うちの老人は扱いにくい部類に入るのではないかと思っている。家族はイラッと接してしまったりもするが、それでもなだめすかし、おだてて何かをしてもらうことが多い。「何かをしてもらう」というのは、日常必要なこと-体の調子が悪くて医者に行く、外出する、買い物に行く-だ。
 先日、ケアマネさんの仕事ぶりを見た家族から聞いたこと。一言「プロの仕事だ!」。上手に「何かをしてもらう」ように、話を仕向け、おだて、結果、本人がするように持っていく。部屋にカレンダーが貼ってあって、そこに色々な予定が書いてあるのを見て「まあ、お忙しいですね」と喜ばせるようなことを言いながら、たぶんさりげなく予定をチェックしている。薬の管理をするために薬剤師さんにお願いするのだが、その薬剤師さんとも事前に打ち合わせ済みで、本人が喜ぶような話題を提供し、気に入られるようにし、薬剤師さんにお願いする合意を得る。
 家族が見て驚いたのはうちの老人が「タメ口で話していた」ことだった。うちの老人はどちらかと言えば、他人行儀が好きなほうで、相手との距離を置くことが多い。その老人がタメ口で話しているということは、かなり気を許している証拠だ。
 ケアマネさんの話し方は、私が見た限り、近づきすぎず、距離を置きすぎず。たぶんうちの老人が好きそうな話し方だ。これはかなり難しいことだと思う。人によってどんな距離感を好むかは違うし、どんな話し方がどんな距離感を生むかも違うからだ。ケアマネさんは、うちの老人の話し方、家族が老人に対してする話し方等を見て、好みの距離感を察し、接しているのではないかと思う。
 月1回の訪問で、家族もいつもいるわけではなく、家族と話した回数もそんなに多いわけではないのに、ここまでできてしまうケアマネさんには脱帽だ。こう家族に思わせるケアマネさんは真のプロだ!と思う。(お医者さんでは、こと老人のことに関してここまで思わせてくれる人には残念ながらお会いできていない。)
 ケアマネさんの話術は、もしかしたら、うちの老人のような扱いにくい人に対してだけかもしれないが、とても必要な重要な技術だ。話術がなければ、担当者(老人)から必要な情報を聞き出せない。話をしていてある程度の本音を引き出せなければ、その老人がどんな生活状態になっているのか把握するのは難しい。また、いろいろやりたがらない人に、話術をもって、説得し、やってもらうように仕向けなければならない。
 気になってネットで調べてみたら、ケアマネさんの話術についてはあまり見当たらない。見たところ、人によるもののようだ。家は幸運にもいいケアマネさんに担当してもらうことができたということなのだろう。
 「話術」は「コミュニケーション能力」と同じように、つかみどころのない、なんとも説明が難しいものだ。でも、ケアマネさんのこの話術は、具体的にどうにか説明ができるようにならないかなと思う。
 

2012年10月20日土曜日

人の授業を覗いてみる-会話の授業をどう作るか-

「会話の授業をどう作るか」
 なんか、変なタイトルのような気もするが、「会話の授業について話してほしい」ということで、今日、とある学校に話しに行った。
 一応、教師研修の講師という立場だったのだが、以前非常勤で勤務していた学校だったので、聞いてくださる皆さんは以前の同僚。この話をいただいた時には、もうだいぶ年数も経っているし、新しい方もいるのではないかと思っていたが、ホームページを見てみると、教師のメンバーは全く変わっていなかった。経験があまり変わらない方を前にし、私が話をすることもないのでは、と思ったが、まあ、人の仕事の仕方を聞く機会もそうないし、そういう話を聞くのも面白いのではないかと思い、なるべく私個人のやり方を語る感じで話をさせていただいた。
 いくつか質問もいただいて面白いなと思ったこと。マイクロディベートの話をしたのだが、
「グループに分かれてディベートをすると、それぞれのグループが何を話しているかというのはどう把握するのか。」
なるほど。そんなことは考えたことがなかった。答えは「できないので、放棄しています」。そう言われてみると、私は学生が何を話すかを一つ一つチェックするということをせずに、授業で練習してもらうことが多い。
「マイクロディベートの立論メモは、宿題で書くんですか」
「書き方がわからないので、授業の時に書いてもらいました。」
「じゃあ、チェックはどうするんですか?」
ある先生は、授業で練習するときには事前に書いてもらい、それをチェックしでから、授業で練習する方法をとっていたそうだ。私は、最終的に宿題で出してもらいそれはチェックをするが、教室内の練習は、とりあえず話して練習してもらう方式をとっている。何かを書くとしたら、それは、何を話していいかわからなくてシーンとしないためのものだ。こんなところでも違うんだなと思った。
 最後にある方が「会話の授業を担当することがないので、会話がどういう授業なのか知ることができて面白かった」とおっしゃっていた。これもなるほどな、と思った。私も文法的な授業を担当することは少ないが、そういう授業がどうなっているのかを知るのは、学生がどう学習しているかを知るのに重要だなと思った。

2012年10月13日土曜日

ディベートと大統領演説とtwitterでの議論

togetter「元桐生市議庭山由紀さん、桐生の女子高生に論破される」を見て思ったこと。

その前に…

ディベートは、議論の様子を見てそれを議論に参加していない人たちが評価するものだ(と私は理解している)が、最初にそれを知った時に、これって何なのだろう??と思った。自分の環境の中で、そういう状況が思い当たらなかった。その後、アメリカ大統領選の候補者討論の様子を見て、「ああ、ディベートはこういうことなのだ」と理解した。そう思うと、私がよく読む翻訳リーガル・サスペンスの中にある、陪審員がいる裁判もなんとなく近いような気がした。だからアメリカではディベートがよく行われている(と聞いている)のかなと思った。
 最近、大統領候補者の討論をテレビで少し見たが、なんとなくではあるが、話し方が見ている人を意識しているような話し方だなと思った。そういうものだと思って見たからそうなのかもしれないが、そう感じた。
 反対に、例えばNHKの日曜討論の議論を見ていると、あまり、見ている人を意識していないような気がする。話している人は、目の前の議論の相手と内容だけに集中していて、その話し方や論点がどう他の人に伝わっているのかは考えていないのではないか、と思う。
 乱暴な言い方をしてしまえば、日本で、少なくとも、私が関わる環境で、「第三の聞き手を意識した話し方」をする機会がないのかなと思っていた。
 そして冒頭に書いた「元桐生市議庭山由紀さん、桐生の女子高生に論破される」。話の内容よりも議論の仕方に目がいってしまうのだが、私から見ると、相手の議論に答えようとしているのに、途中で話をすり替えて中傷とも取れる言葉を使ってしまう元市議はどうかな…と思ってしまった。そして、あ、こういうのって、実は、第三者に見られて評価される議論なのかも、と思った。
 他人の議論を評価することについて。こういうことも実は、練習が必要なのではないかと思う。twitterでは、議論している当事者を中傷する言葉も見られるが、そういうことばかりがtwitter上で展開してしまうのは残念というか、もったいないというか…。ディベートの判定をするには訓練が必要らしいが、そういう訓練が、ディベートの判定のためだけでなく、こういう一般の議論を見る時にも必要なのではないかと思う。