2012年8月31日金曜日

【本】老人介護 じいさん・ばあさんの愛しかた

老人介護 じいさん・ばあさんの愛しかた (新潮文庫)
老人介護 じいさん・ばあさんの愛しかた (新潮文庫)三好 春樹

「そうそう」「なるほど」と思ったり、思わず笑ったりしてしまった本。
 ブログ「ラーニング・ラボ」の中で、この著者の別の本が紹介されていた(「ウンコ・シッコの介護学」)のを見たのがきっかけ。私生活で、ケアマネの方や介護士の方と接触する状況なので読み始めたような気がするが、自分の仕事とも重なるところが多々あった。読みながら考えたこと。

○帰らすくらいならいかさにゃええじゃない(p.134)
 老人ホームでの歩行訓練で、あるご老人が吐いた言葉。平行棒を前に、訓練士「立ってみて」。ご老人立つ。訓練士「立ったら今度は歩いて」。ご老人、歩く。訓練士「じゃこんどは向きを変えて帰ってきて」その後にご老人の言った言葉だ。最後の解説でも取り上げられていて、かなりインパクトのあるフレーズなんだと思う。私もこれを読みながら、思わず笑い、私だったら「ごもっともでございます」とでも答えるだろうな、と思ってしまった。
 本の中では「うーむ、まいった」という感想の後に、
「訓練は手段」
「生活行為はまず目的がある。目的があって意欲が生まれ、その結果、体が自発的に動く」
と、訓練と実際の生活の違い、そこでの訓練の限界のようなものに触れている。これは、言語教育で言われる、教室での練習VS実際使用と似たものがある。
 教室での練習は役に立たないとか、教室での状況と実際の状況は違うとか、いろいろ教室内の練習の限界が言われている。実際使用と教室を結びつけようとか、教室を実際使用に近づけようとか、試みもいろいろある。私も、ああだこうだ、試行錯誤を繰り返している。

でもね、とちょっと思ってしまった。

 この「でもね」を説明する前にもう一つ。「帰らすぐらいなら…」発言のすぐ後に紹介されている「遊びリテーション」。「遊び」と「リハビリテーション」との造語であることはすぐわかると思う。私の理解では、もともと、リハビリはリハビリ、レクリエーションはレクリエーションで、別々に行われていた。それを、辛くてやりたくないリハビリにレクリエーションの要素を取り入れ、楽しくリハビリをしよう、ということだと思う。
これも、ゲーム的な教室活動で楽しく練習しましょう、という言語教育と似ている。

 上記の2つが意味するのは、楽しかったり、わかりやすい目的があって訓練するといいですよ。今までやりたがらなかったご老人もやるようになり、効果もあがりますよ、ということだと思う。言語教育で言われることも、似ていて、機械的な練習とか文法とかは面白くないから学習者はやりたがらないけれど、実際の目的があったり、楽しかったりすると練習しますよ、ということだ。
 
 確かにご老人は、やりたくないことはやらない。(皆ではなく、そういう人もいるという意味だが)「小学校1年生が8月28日に夏休みの宿題をする」的な状況になることがある。周りがどう言おうが遅々として進まず、集中できず、でも本人はやらないといけないとも思っていて、さらにイライラし…てな感じだ。
 少々認知機能に問題があるご老人と接していると、日々自分が無意識にいろいろなことに対処していることに気付かされる。やりたくないことをやらないで先延ばしにするのは、割りと誰でもやってしまうが、小学校1年生のようにはならないだろう。一般的な大人は、やりたくないものでも「しょうがないな」と思ってやるのだ。それが大人なのだと思う。
 
 さて、私が思う「でもね」。明確なわかりやすい目的があることが重要。楽しいと学習が進むというのも一理ある。でもね、「つまんないかもしれないけど、この先必要があるから。やっておくと、あと楽になるから、だから、練習してね」というのもあっていい。そこをあんまり、手厚くケアするのも、どうかなと思う。
 大半の学習者は小学校1年生ではない。大人じゃなくて中学生でも「小学校1年生が8月28日に夏休みの宿題をする」状況には陥らない。誰でも、自分ではやりたくもないし、なんの意味があるかもわからないけれど、やんなきゃいけないからやる時があるのだ。そして、そういう能力は絶対に日常生活の上で必要なものだ。

 全てを盲目的に人に言われたことをやりなさい、ということではないが、なんでもかんでも楽しくなきゃなあ、と思う必要もないのでは。だって、大人なんだから…。横のご老人を見ながらそう思う。

2012年8月4日土曜日

Facebook-打卡と…

今日、卒業生数人と久しぶりに会って食事をした。その時に知った新しい中国語「打卡」。私が知っていた意味は「タイムカードを押す」。「打卡」と聞いて、「それって、タイムカードガッチャン!じゃないの?」と言ったら、学生たちに「それも同じ言葉ですけどね…」と笑われた。
Facebookで、「○○さんは、××さんと△△にいます」という機能があるが、それのことを中国語で「打卡」というそうだ。(日本語でなんというか知らなかったので、さっきスマホで見てみたら「チェックイン」。あ、そういえば、なんか見たことあるなあ。)
なぜ、そんな話題になったのかというと、学生の中の一人が最近彼女と別れた。その別れ話の中でFacebookが出てきたのだ。私にとっては「打卡」よりも衝撃的だったその学生の話。
彼女とちょっと気まずい状況になり、その後、ある時お姉さんから「あんた彼女と別れたの?」と聞かれた。本人はわかれたとは思っていなかったので「え?なんで?」と聞くと、「彼女のFacebookのステータスが「交際中」から「独身」に変わった」とのこと。あわてて、Facebookを確認。Facebookで彼女と別れたことを知った…というもの。
恐るべしFacebook!というのが今日の結論。