2012年6月10日日曜日

英語で読むかい―多読の一歩先―

もう2ヶ月ぐらいになるが、週1回、英語を読む勉強会に参加している。その名も「英語で読むかい」で、「かい」が「会」でないのは「英語で読むかい?」とひっかけた、お茶目な名前なのだと勝手に受け取っている。
 以前から英語多読をしていたのだが、少し行き詰まりを感じていた。楽しい小説の読書はできるのだが、少し固いものになると、まだまだ立ち行かないものも多い。自分で伸び悩みを感じていた時に、「英語で読むかい」のお知らせを受け取り、参加することにした。
 この勉強会、一人教師役の人がいて、それ以外の人が学習者。毎回人数に変動があるものの、全部で4、5人。時間は2時間ぐらい。最初は毎週違う記事を読んでいたが、今はかなりの長文を毎週少しずつ読んでいる。(今、読んでいるものについてはこちら。なんでこれを読んでいるかというのは、この勉強会の主催がそういうことに関心を持つNPOだから。)毎回、段落ごとに、参加者の一人が読んでわかったことを声に出す。翻訳に近いが、逐語訳をするのではなく、声に出すものも日本語として整ったものではなく、なので「声に出す」。よく、読んでいる時に、日本語に翻訳しないで、英語のまま頭で理解したほうがいいというが、それと翻訳の中間ぐらいの感じだ。
 私のこの勉強会での勉強方法。まず、読むものはプリンターで印刷。辞書引きを手軽にするために、読み物はネット上のものを利用しているが、メモも書きたいし、私は紙で読む方が好きなので印刷する。1回目は、全体を通して読む。わからない単語があれば印をつける。わかりにくいところは、文の区切りや、主語述語をマークしながら読むこともある。わからなくても、とりあえず読み進められるのは、多読のおかげか。次に、辞書を参照。ネットのweblioの拡張機能が便利なので主にそれを使用。ただ、それでもいまひとつわからないな、とか、たぶんこれはいわゆる決まった言い回しなのかも、と思ったときは、アルクの英辞郎で調べる。調べたものは、紙に書き込む。どうしてもわからないところは、?マークをつける。この状態で勉強会に臨む。
 勉強会に参加して、思ったこと。
1、一度でだめでも、二度目はわかるかも、という経験
一人で読んでいると、わからないとすぐあきらめてしまうが(別に読まなければいけないものはないので)、勉強会だと、それなりに、もう一踏ん張りしようとする。1回読んだだけではわからないが、2回読めばわかったり、頭をひねって考えるとわかった、という経験ができた。1回読んでわからなくても、あきらめなくていいんだ、と思った。とてもつまらないようで、でもすごく大事な経験。
2、苦手なところがどこかわかる
まず自分の英語力がどれぐらいなのか一応の把握ができる。一人で読んでいると、わかっているのか、わかっていないのかわからないことがあるが、この勉強会では教師役の人が教えてくれるので、「あ、やっぱりあっていたんだ」とか、解釈を間違えていたことがわかる。それを続けていくと、自分がよくつまづくところが見えてくる。私の場合は、見かけ簡単な英語が並んでいるのだが、意味がわからないようなところ。「given」もなんどか出てきて、そのたびにわからず、「あ、またか」と思った。関係代名詞がどこにかかっているかや、並列されているものが、どこからどこまでが並列なのか、なども苦手。
3、文法が気になる
当たり前のことだと思うが、「なんでそう理解できるのか」というのが文法。自分が教師役の人に質問しているのは、文法的なことが多い。なんとなく全体が言っていることがわかる、ではなく、「ちゃんとわかりたい」と思うと、文法が気になる。
4、いわゆる「フレーズ」の大切さ
よくある言い回しがわかると、文全体の構造が理解できるのだなというのが、本当によーーーくわかった。これが頭に入っているのといないのとでは、全然違う。学校で言っていたのってこういうことね、と納得。

私が学生に聞く「学んだ感があるか」「できるようになった感があるか」だが、ある。「読み方」がわかってきた気がする。「読み方」というのは、うまく言えないが、わからない時に、もうちょっとどこを頑張るか、どの単語に注意して見てみるかとか、もう一度辞書を引き直すとか、そういうところがわかってきた。他への応用が効いているか、もあるような気がする。
しばらくしたらまた行き詰まりを感じるかもしれないが、当分はこれでお勉強できるなと思っている。