2011年10月11日火曜日

「いい文章」-自分の価値観

 いわゆる作文の指導をしている時に、「これって日本の国語教育っぽいな」と、自分の考えている方向について思うことがよくある。
先日も学生に「とても」以外に、「とても」を表す言葉はないか、と聞かれた。「非常に」とか「大変」なのだが、それも文体によるし…と説明したあとで、「『とても』を使わずに、具体例、様子の描写などをして表すほうがいい。」と話した。今担当している大学2年生の文章作成指導では、「具体的な記述」を一つのキーワードにしている。これは、思い返せば、私自身が教育を受けている過程で言われていたことだ。

ずっと前のことだが、非常勤で本務校以外の大学の授業を担当し、そこで出会った学生のこと。使っている言葉は、難しいものはないのだが、内容がわかりやすく、とても豊かで、「いい文章を書く学生だな」と感じた。本務校の同僚にもその学生の作文を見せ、「うちの学校にはいないよね、こういうタイプの文章を書く学生。」と言って、二人で感心していた。
その学生との授業は1学期だけだったのだが、学期終了後に、たまたまメッセンジャーで話をした。その学生が「文章を書くことにはずっと苦手意識を持っていたが、今回の授業は楽しかった。今までの学校生活の中で自分が書いた文章を褒められたことは一度もなかった。」と言っていた。それを聞いて、やはりどこか私の思う「いい文章」と彼らの受けた教育の中でのいい文章は違うのではないかと思った。

文章でもう一つ。履歴書につける自己PR文(台湾では「自傳」)について。人によっては日本語、英語、中国語の三つを書いて送るらしいが、どれも内容を少し変えるらしい。例えば、日本語で書くときは、自分の長所なんかは控えめに、短所もまじえて書く。でも、中国語で書くときは、長所はオーバー気味に、短所なんか書く必要がない…というように。
迷うのは、日本語で書くがその日本語の読み手は台湾人も日本人も想定されるような場合。どのスタイルを選べばいいのか…。

友人から聞いた話。うろ覚えだが、簡単に言うと、友人が書いた英語の論文を読んだ二人の先生が言ったこと。一人は「よくわかる」、もう一人は「わかるが、書き方がいまひとつ」。友人はオーストラリアで学んだのだが、「よくわかる」と言った先生はオーストラリア人、「いまひとつ」はアメリカ人だった。「英語論文の書き方」という言われ方をするが、「英語論文」のお作法も一つではないということだろう。

自分の価値観の押しつけになってはいないだろうか…。そういう疑問がいつも頭の中にある。解決策にはなっていないのだが、自分の持っている価値観を自己分析し、その価値観を言葉にして学生に提示する。とりあえずはそうやってしのいでいる。

0 件のコメント:

コメントを投稿