2011年12月24日土曜日

【本】「あなたの話はなぜ「通じない」のか」の方法をやってみた

あなたの話はなぜ「通じない」のか (ちくま文庫)
あなたの話はなぜ「通じない」のか (ちくま文庫)山田 ズーニー

作文の授業でこの本に書いてある方法を学生に紹介し、少しやってみた。結果はどうなるかわからないが…。

なぜこれを使ったか。私が読んで腑に落ちたこと、実際にやる方法が書いてあったこと、実際にやってみて考えが整理されたこと、等が理由だ。

読んでいてまず、「そうだよね」と思ったところ。
たとえば、高校生が「命」というテーマで20枚の論文を書く場合、問いが立たない頭では、とうてい字数が持たない。
「自分は問いが立たない、思考停止だ」と自覚していればまだいいのだが、多くの生徒は自分の意見がないという空白に耐えられない、何かで埋めようとする。
それでどうするかと言うと、凶悪殺人とか、無差別テロとか、わざわざ極端に悪い例を、引っぱってきて裁くのだ。「命」とお題を与えられて、「凶悪殺人」を持ち出せば、それは誰でも「悪い」と意見を言える。だがそれは、その生徒が心から言いたいことではない。
意見が言おうとして言えないために、わざわざ極端に悪い例を引っぱってきて裁く。
この論法を私は「悪魔の小論法」と呼んでいる。悪魔だって、呼び出さない人の前にはそう簡単に現われない。それをわざわざ探しにいくから悪魔の小論法。(p.66)
こういうのは、本当によくある。自分もやってしまいがちだ。

今回の作文の授業では、予め2人が書いた同じテーマに対する意見文を提示し、その元テーマに対して自分の意見を書く、という課題設定にした。この意見文だが、去年「気になるニュースを紹介し、自分の考え、思いを書く」という課題の際に、学生から提出された文章。たまたま、同じニュースを2人が選び、さらに、2人の意見が全く異なっていた。去年、それを発展させたいと思っていたのだが、実現できずにいて、今年利用させてもらうことにした。

この本の中では、色々なるほどと思うところがあったのだが、利用させていただいたところ。(+授業の流れ)

意見となぜ(p.48)
「意見となぜ」は、論理的なコミュニケーションの大原則だ!
考える道具→問い
「問い」という言葉は学生には慣れていないものなので「質問」に変えた。(授業で学生と話していて「疑問」にしたほうがよかったことに気づいた。)

問い発見の手段として2つが載っていたが、授業では「とにかくたくさん問いをたてること!一人最低15個!」と言ってやってもらった。実際、授業にネタを持っていく前に自分でもやってみたのだが、なかなか面白かった。学生はみんなうなりながらも考えて書いている。一つも書けない人は「思考停止」と本に書いてあります、と言いながら黒板に「思考停止」と書くと、みんな苦笑。(もしかして、「思考停止」という言葉の印象が中文と日本語では違うかも…。)
15個書けたという学生はいなかったが、10以上書いている学生は数人いた。だいたい7、8個書いた学生が多い。結構面白い問いもあったので、何人かに発表してもらった。自分が書いたものと違うのがかなりあるでしょ?と言うと、うんとうなづく学生たち。

問題発見力、多角的考察力、論理的思考力(p.85)
これが「問い」で説明できて、納得が言ってしまうのがこの本の最もいいなと思った部分。
この三つ、大事だってよく言うよね、と言うと学生も「うんうん」。
問題発見力→「問い」を発見する力。
多角的考察力→さまざまな角度から問いが立てられること。
論理的思考力→「問い」と「問い」を筋道立てて配列する力。

どうやって問いの視野を広げるか(p.76の図)
ここまで来て、ほぼ時間がいっぱいいっぱいになってしまったので、最後にこの図を紹介しておしまいにした。学生の「問い」はいくつかのカテゴリに分けられたのだが、それを示した後、いくつか発展的な問いがあったので、それってこれだよね、という感じで説明。

さあ、どんな文章を考えてくれるのだろう。こんなことを1回やっただけでどれだけ使えるか分からないが、少なくとも、困った時に取り出してくる道具にはなってくれるはず(と思いたい)。

山田ズーニーの本はなんどか買いたいリストに入れていたものの、本屋にとって手にとって、まあ今はいいかな、と買わずに帰ることが何度もあった。それを何度か繰り返し、なぜだか忘れてしまったが、前回ついに購入。買ってよかったと思った本。


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