2011年11月15日火曜日

相手の呼び方のつづき 「親しさ」への感覚

前回、台湾の学生が仲良くなるにつれどう相手の呼び方が変わるか(相手の呼び方【中国語】)、ということについて書いた。その時の授業で聞いたもう一つ面白かったこと。

最初に名前がわからなかったときの「同學」から、次は、名前が分かって「下の名前(呼び捨て)」に変わるということを書いたが、これについてのある学生の解説。
この下の名前だけという言い方は「装親切」だ、というのである。「装親切」の「装」は「~のふりをする」という感じだろうか。「親切」は日本語の親切とは少し違い「親しい」とか「フレンドリー」という意味を持っている。(この「親切」という言葉、なかなか日本語にするのはやっかいだなと思っている。)つまり「装親切」というのは、「親しい風を装う」ということになるだろう。その学生いわく、本当に親しくなってからも、下の名前だけ、ということもある。親しくなってからは、ニックネームや、フルネームに移行する場合もある。

私が面白いと思ったのは、親しいか親しくないかではっきりとした線引きをしないようになっている、ということだ。

日本語の場合、タメ口になったり相手を呼び捨てにしたり、というのは、「上から下」か或いは相当親しいという意味を持つ(と思う)。親しくない相手に、タメ口・呼び捨てを使うと失礼な感じを受ける。親しい間柄かどうか、親しいかそうでないかに大きく線が引かれている。

これも私の勝手な思い込みかも知れないし、少し乱暴なまとめ方かも知れないが、台湾の場合、相手に対して「親しさ」を見せるのが一種の礼儀であり、相手を尊重していることにもつながる。「私はあなたと親しくしたいと思っていますよ」という態度を見せようとする。逆に、日本語の場合、相手と一定の距離を保つのが一種の礼儀につながる。それが言語使用にも表れているように感じられる。

ずっと以前のことだが、学生が卒業後ビジネスホテルに勤め始め、そこの日本人駐在員客と「普通体」で話している、というのを聞き、びっくりしたことがある。「普通体じゃなくて、です/ます体で話したほうがいいよ」と言ったのだが、学生は「だって、その人とは仲良くなったし、親しい相手には普通体でしょ」と言っていた。まあ、よく話を聞くと、相手の駐在員の人も楽しく話しているようだし(学生から聞いたところではだが)、相手が気を悪くしていないのならば、私がとやかく言うことではないので、それ以上は何も言わなかった。(短大卒業したての若い女の子に、友だちのように話しかけられて喜んでいる駐在員、みたいな様子を想像してしまった。)

台湾から日本へ留学した学生が、「日本の学生は少し仲良くなるのは簡単だが、とても仲良くなるのは難しい」と言っているのを一度ならず聞いたことがある。「親しさ」の境界が、感覚的に違うことも原因の一つかもしれない。もちろん、こういうことは台湾ではどうだ日本ではどうだ、という風にはっきり分かれるわけではないし、個人の感覚によっても違いはかなりあるだろう。ただ、ある年齢を超えたら「私達って仲良しだよね」とあからさまに確認することはないと思うので、そこをどこから感じるかということの中に、言語感覚は影響していると思う。


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