2010年6月11日金曜日

「かもしれない」は敬意表現

中文の婉曲表現(?)について前に書いたが、以前あった私が誤解をした中文の表現について。
  学生に何かを確かめると「應該……」という答えがよく返ってくる。この「應該」、推量の「~はず」みたいな意味なのだが、私は
「『たぶん』とか『かも』とか『はず』とかじゃなくて、ちゃんと確かめて!!!」とよく言っていた。
そして、
「私にものを聞かれて應該って答えるの禁止!!」とまで言った。
その後、私が学生に「應該…」と言うと、学生に「あ、先生も應該って言った。いけないんだ…」と冗談のように言われるようになったが、私の應該禁止令は浸透してしまった。

しかし、ある時、別の大学で会話のロールプレイをしていた時のこと。
学生のタスクは「何か事情があって、約束をキャンセルしなければいけない。約束をキャンセルする旨を相手に伝え、次の時間の約束をすること。事情は各自で考えること。」というものだった。
学生は私に事情を話し、約束を変更したいということを言った。その事情が、
「○○先生の授業があるかもしれないので…」
という説明。
「かもしれないって言うのだったら、はっきりしてから、また連絡してくれる?」みたいなことを私が言って、その後、ちょっと会話がちぐはぐな感じになってきた。
そのロールプレイは、一応、約束の変更をして無事に終了した。その後、学生と会話の相手をした私と、会話を横で見ていたTAの学生とで、その会話の反省・改善点を話した。その時に、また私が
「〈~かもしれない〉っていう事情は、約束を変更する理由としては今ひとつ」なんてことを言ったら、TAの学生が「授業があるというのは、不確かではなく、確定していること。でも話し方として、かもしれない(中文で「可能」)、という言い方を中文ではするんです。敬語的な表現です。」と教えてくれた。不確かなものとして提示することで、敬意を出すらしい。
應該禁止令を出した私は、正直、衝撃だった。あ、そうなんだ、あれは、そういう言い回しだったんだ。実際に不確かなことで應該と言っていた学生も、もちろんいただろう。でも、そうではなく、敬意表現(らしい)で言っていた学生もいただろう。
そう言えば「~かも(可能~)」と言って、私に「どっちなの!?」と怒られ、キョトンとしていた学生がいた。普段、あまり怒った顔を見せずへらへらしている私に怒られたという衝撃だったのかもしれないが、もしかしたら、「なんで怒られるの?」という気持ちだったのかもしれない。本当に心の底から申し訳ない気持ちになった。

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