2011年8月13日土曜日

[本]ヒューマンな英語授業がしたい!-かかわる、つながるコミュニケーション活動をデザインする

ヒューマンな英語授業がしたい!―かかわる、つながるコミュニケーション活動をデザインする
ヒューマンな英語授業がしたい!―かかわる、つながるコミュニケーション活動をデザインする三浦 孝,池岡 慎,中嶋 洋一


授業ネタ満載の本。コミュニケーション活動の例がたくさん載っている。ずいぶん前から持っていたのだが、途中まで読んでそのままになっていた。今回、最初から読み返し読み終えた。

私は英語の授業をしているのではないが、この本の9頁にある
「本当のコミュニケーション」とは何なのか。たとえば英語のネイティブ・スピーカーと話さなければ本当のコミュニケーションとは言えないのか。
「意味のあるタスク」とは何なのか。
「学習者にとって意味深い言語」とは何なのか。(一部略)
実は、ここ20年ほど日本に輸入されてきたCommunicative language Teachingの理論では、こうした詰めの部分が、しっかりと解明されていない。こうした詰めは、英語を母語として話す国々ではあまり必要のないものであり、むしろ実際に教育を行う現地(つまり日本の中学・高校)の生徒、教師、文化、教育制度に合わせて、現場教師の智恵を集大成して行うべきものであり、本家本元は日本にあるものである。
この部分は、そのまま単語を置き換えれば今の自分の状況として考えることができる。
この他にも、この本は思わず「そうそう」と言いたくなるところが随所に出てくる。

例えば、現在の状況として(6頁)
(1)たとえ教師がコミュニケーション活動を指示しても、生徒が活動に入ろうとしない。たとえば「4人のグループに分かれて机を寄せて向い合いなさい」と指示しても、無視して動こうとしない。
(2)生徒が一応表面上はコミュニケーション活動に参加する振りをするが、実際には活動しない(たとえば日本語で私語を交わしてお茶をにごし、教師が巡回して来た時だけ英語でやっている振りをする)。
これは(4)まであるのだが、どれをとっても「そうそう」と思う。(自分が今までどれだけ失敗してきたかという証明であるが…。)

既存のタスクへの考え方にも「そうそう」がある。例えば「問題解決型のタスク」で、従来からある「犯人捜し(殺人事件の犯人を、関係者の供述や目撃証言などからつきとめる活動)」や「生き残りゲーム(気球や救命ボートの乗組員が、乗り物を救うために誰が1人犠牲になるかを議論してきめる)」は
場面設定に難がある。殺人事件も、気球墜落も、前向きな設定ではなく、忌むべきネガティブな場面である。しかも生徒の人生とあまりにかけ離れた絵空事であり、イメージが浮かばない。このような場面設定が話し合うニーズをさほど喚起するとは思われない。「そんな絵空事の事件の犯人当てなんてどうだっていいよ」「べつに気球なんて乗ることないし、誰が生き残ったっていいじゃない」と冷めた声も聞こえてきそうである。
とある。もちろん、こういう設定がものすごく盛り上がることもあるのだが、盛り上がらないからといって「この学生たちはノリが悪い」というわけではないのだ。私もこの例ではないが、同じタスクで活発に活動できた授業としらけてしまった授業を経験している。
よく、「日本語でさえ意見が書けないのに、まして英語なんて…」と諦めてしまう人がいる。しかし、それは逆で「英語」というフィルターを通すからこそ、書きにくいことも書けてしまうのである。英語なら詩やラブレターも、照れくさいことも平気で書ける。気持ちをオブラートに包むような感覚になるのだろう。
これは、ずっと以前に私が授業でした「ほめる」の時に感じたことと同じで、やはりそうなんだと思った。

しつこく「そうそう」を書いてきたが、この「そうそう」は大事だと思う。よく研究会などで実践報告があると「◯◯の学生だからできること、うちの学生には無理」と言う声が聞かれる。この本は、そういう「うちの学生には無理」という言い訳や諦めをさせないようにできている。

「どんな学生にもできる」という主張は、綿密な段階を追ったタスク(コミュニケーション活動)の計画にある。
孤立したコミュニケーション活動をただ単に寄せ集めただけでは、その瞬間は生徒が面白がるかもしれないが、全体として意味有る授業とはならないのだ。(中略)「どこから」「どこへ向かって」「どのようなルートで」の中・長期的見通しの幹があってこそ、個々の活動が意味を持ってくるのである。
私なんかは、教科書が予め指定されている授業では、たまに時間に余裕がある時に「時間があるからコミュニケーション活動をやってみようか」という場当たり的なことをよくしてしまっている。反省。

いくつか、授業でやってみようと思ったコミュニケーション活動の概要をメモしておきたい。

チェーン・レター(141頁)[意見を書く]
紙を全員に配り、最初に各自にトピックを選ばせる。
選んだトピックについて自分の意見(考え)とその理由を書かせる。
決められた時間(例えば3分)書いたら、その紙を一斉に次の生徒に渡す。
次の生徒は、その意見に対して自分の率直な意見を書くよう支持する。
これを繰り返し

マイクロ・ディベート[意見を話す]
3人1組になり、同じ論題でYes,No,Judgeをそれぞれ体験する。
10分でワンセット。流れは以下。
1.肯定側立論(1分半)
2.否定側反駁(1分)
3.否定側立論(1分半)
4.肯定側反駁(1分)
5.自由討議(2分)
6.結果発表、振り返り(3分)
この流れで、3ラウンド行う。
マイクロ・ディベートに入る前に論点、肯定・否定、の立論メモを書いておく。対戦直前に立論メモを見せ合うのも有効。そうしないと論点が同じでないと意見が咬み合わなくなることがある。

私は実はディベートは好きではないというよくいる人間の一人だった。実際にディベート大会を見たこともあるが、各自が自分の言いたいことを言っているだけで、そこに言葉を通したコミュニケーションがあるように見えず、心地が悪い感じがした。準備の過程などを通して考えれば意味のある活動だと思うのだが、どうにもやってみようという気にはなれなかった。でも、このマイクロ・ディベートは、1対1での意見交換なので、コミュニケーションができるのではないか、やってみたいと思った。

Strategic Interaction[話す]
 読んだところの私の理解では、ロールプレイに似ているのだが、異なる点もある。ロールプレイと似ているので、学習者にとっては上級の活動だが、この本では本来の上級向け活動に加え、初級者向けの活動も紹介されている。

元々のStrategic Interaction
役割Aと役割Bが相互に別々のシナリオを与えられる。
(ロールカードとシナリオという用語の違いはあるが、ここはロールプレイと同じ)
役割Aのシナリオと役割Bのシナリオはすれ違っている。さらに、シナリオは状況を述べるにとどまり、「~しなさい」という指示がない。
(ここがロールプレイと違うところ。)
「相手の出方が予測できない」「状況説明だけで、行動を指示しない」シナリオがStrategic Interactionの特徴。
授業では、グループに分かれて各役割の準備をする(15分)。
1.役割を理解。
2.相手の出方を予測し、交渉プランを目標言語で準備。
3.相手の出方がわからないので、交渉プランは複数のオプションを準備。
4.相手グループと実際にやりとりをする代表者を選出。
グループの代表者各1名が実際に交渉する(5分)
代表者は必要を感じたときにはいつでも交渉を中断して自分のグループに立ち戻り、助言を受けることができる。またグループ員たちも、必要と思う場合にはいつでも代表者を呼び戻して助言を与えることができる。
振り返り活動(10分)

代表者がグループに戻って相談したり、代表者を呼び戻すことができる、というのがいいなと思う。

Strategic Interactionの導入活動―第1段階「こんな時あなたならどうする?」
予期しない他人の出方に、どう対処するかを考えるもの。
場面とそれに応えるセリフが選択式で与えられる。学生は選択肢の中から応答を選ぶ。創作したい学生は自分で考えてもよい。

今、新学期の授業でやってみようと計画中。

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