2013年3月11日月曜日

「安住紳一郎の日曜天国」の笑い

 前回、「安住紳一郎の日曜天国」(にち10)について書いたが、私はこれを聞いて本当に大笑いしている。聞くのは通勤の車の中なので、人目をはばかることなく笑うことができる。以前はいやだった週一の片道1時間半、往復3時間の車通勤も、最近はにち10のおかげで全く苦痛ではなくなった。ちょうど帰宅の時間がラッシュアワーでよく渋滞するのだが、その渋滞も気楽に過ごすことができている。
 聞き始めたのが昨年末なので、以前の放送分もずっと聞いている。すごいなと思うのが、前の放送を聞いてもものすごく面白いことだ。今のお笑い芸人の笑いは、何か決まり文句があってそれを言うとみんなが受ける、という「出た出た」的なものが多いなと思うが、そういう笑いは、時が経ってしまえば全く面白くない。それから、笑いの中にはその時の流行やらニュースやらを使ったものもあって、そういうのもその時ではないと面白くない。古典的な落語とか、完結された一つのストーリーならいざしらず、ラジオで放送されたトークでいつ聞いても面白いというのは、高度なトークなのではないかと思う。
 時事ネタを扱っても面白いと思えるものもある。例えば「北京五輪で気になった10のこと」。気になったことは「レスリングの審判がスーツの割に俊敏だった」のようなものなので、特に北京オリンピックを見ていなくても理解できる。その他「○○選手がお姉さんを呼び捨てにしていてかっこよかった」なんかは、選手自体はその時に有名だったのだが、一般的な話として聞いても面白い。
 なぜ面白いんだろうかと時々考えながら聞いている。私が思う一つの理由は、「細かい」こと。話のネタがとても小さい、些細なこと。そして、その話の説明や描写もとても「細かい」、詳細なのだ。「レスリングの審判がスーツの割に俊敏だった」もそうだ。オリンピックを見て、あるスポーツの審判の服装とその動きなんて、オリンピックの話題にしては針のように小さい。そしてその語り方。これは、語り方の例なのでその時にこう話したかどうかは定かではないが、審判が「こうしてこうやってこう動いて…」と語る。それと比較する自分のスーツ姿も「こうしてこうやって、でもこうするとスーツだと動きづらい」等々、事細かに語る。事細かに語るには、自ずと視点も小さいものになるのかもしれない。
 もう一つうまいと思うのが、「たとえ」だ。ラジオなので、大きさや見た目などを伝えるために「たとえ」を使っていることもあるし、トークの内容の説明に独特の「たとえ」を使っていることもある。
 「詳細に語ること」と「うまくたとえること」。この二つは実は授業の中でも目標とする技術の要素だ。「詳細に語る」は中級の会話や作文で常々言っていることである。「いろいろ」ではなく、具体的に書くこと。「おいしい」や「面白い」という形容詞だけでなく、どうおいしいのか、どう面白いのかを詳細に書くことなど、よく言っている。また、「たとえ」は福嶋隆史氏の本の中に出てくる。
 安住氏は、語りの基本技術を実に上手に実践しているのだな、と思った。

0 件のコメント:

コメントを投稿