先日、作文の授業で「書き出し」について話をすることがあった。配布資料の中に「書き出し」という単語があり、学生が「書き出し」の意味がわからなかったことがきっかけ。単語の意味を説明したら、それ自体は難しくないと思ったのだが、腑に落ちないという顔の学生多数。「本の本文の前に書いてあるもののことか」とか「作者の説明か」とか、質問が出る。「じゃなくて、本当に文章の一番最初のことだよ」と言っても、まだ???の顔。
こちらも段々不安になってくる。「え?なんか有名な小説の一番最初で、みんなが覚えているようなものない?」と聞いたら、別の授業の日本の近代文学を履修している学生が「『吾輩は猫である』みたいなものですか?」と言ってくれた。別の学生からは「三国志の最初は漢詩になっていますが、それも含まれますか」と質問があった。
この二人の学生に助けられ、なんとなく他の学生も意味がわかってきた様子。たぶん名前ぐらいは聞いたことがあるだろうと思って、「『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった』も有名だし…」といくつか例を出す。
結論。学生たちには「書き出し」がどうのこうのという感覚はなかった。なるほど、そうなのか。「書き出し」や「冒頭」が重要だと思うのも、ある種の「いい文章」文化差なんだと気づいた。
もしかして、と思って
「文章書く時に、書き出しで困ったことない?」と聞いたら、これも
「ない」(はあ、なんでそんなところで困るんですか…という顔に見えた)とのこと。小学校の作文で「書き出し」が書けない子、という話があると思うが、これも「書き出しが重要」というところから来ているプレッシャーなのかも知れない。別にどうでもいいと思えば、何でもいいから書き始めるのだろう。面白い。
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