2013年2月4日月曜日

やってみるかどうかの境目

「~かな?と思って、どうしてやってみないんですか??」学生に言われてごもっとも!と思った言葉。
 普段はあまり使わないFacebookに写真をアップロードしたら、コメントがついたのでそれに返信しようとした。改行しようと思ってenterキーを押すと、コメントが送信されてしまう。あれ?どうしたらいいんだ?途中で、Altキーかshiftキーを使うのかなと思ったのだが、まあいいやと思って、そのまま短いコメントを送信しつづけた。最後にコメントの中で「改行できない!」と書いたら、学生の一人が「shift+enterですよ!」とコメントで教えてくれた。
 後日、コメントを見た別の学生とたまたま会った。
学生:先生は、やっぱりFBの使い方とか、わからないんですね。
私:そうなんだよね。普段、あまり使わないし。
学生:あれは、shiftとenterをいっしょに押せばいいんですよ。
私:そうなんだ。私もそうじゃないかなあとは思ったんだけどね…。
それに対しての学生の言葉が一番最初のあれ
学生:~かな?と思って、どうしてやってみないんですか??!
はい、ごもっともでございます。学生の口調は、「ほんとに全くしょうがないなあ」という感じ。その気持ち、とてもよくわかる。私も別のことでは、他の人や学生に対して、思ったことがあるものだからだ。
 ワードやエクセル等PCのちょっとした使い方だとか、iPodみたいな小さい電気器具の使い方だとか、少しいじってみても壊れるものでもなし、とりあえずやってみればいいのに、「わからないから」と放置する。学生だと、ネットのリソースなどで少しわかりにくいページなどだと「わからない」とそれ以上見ない。どこかをクリックしたって、コンピュータが壊れるわけでも、変なものがダウンロードされてしまうわけでもないのに。
 そのたびに、「なんでやってみないんだろう」と思っていた。
 今回のFBのことも全く同じだ。shift+enterを押してみて、また同じようにコメントが送信されたとしても、どうってことはない。でも、私はやってみなかった。このやってみる一歩が出るか出ないかは、どこで違って来るのだろう?
 前にも少し似たようなことを考えたことがあるが、その時は、すぐ近くに助けてくれる人がいるかどうかが大きいのかなと思っていた。面白かった例は、友人に「ノートパソコンに無線マウスをつなげたいのだが動かないどうしたらいい?」と聞かれた時。私はその場にいて、あれしてみたらこれしてみたらと言い、それを聞きながら友人はあれこれやってみた。結局、私が言ったことは当たらず、友人が自分で動かしながら解決した。私は何の役にも立たなかったのだが、友人は私がいるという根拠のない安心感で、いろいろやってみることができたのかなとも思った。
 今回、一歩が出なかったことを反省するとともに、他の人の気持ちが少しわかるようになったのもよかったかなと思う。でも、とりあえずやってみる自分のほうがいいかなとまた反省。次回なにかあったらやってみよう!

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