2012年7月1日日曜日

【本】日本語雑記帳

日本語雑記帳 (岩波新書)
日本語雑記帳 (岩波新書)


少し前になってしまったが、田中章夫先生の「日本語雑記帳」を読んだ。まえがきの
「日本語論」というと、えてして、日本語の特徴とか、独自性とかいった面が強調されがちだが、本書では、そうした特殊性よりも、近現代の日本語に見られる現象と、それをめぐる人々の意識・意見に注目して、日本語論議・コトバ談義の姿を描写してみたい。
にあるように、様々な事例と、それに関係する言語意識が紹介されている。
読んでいて、何となくずっと疑問に思っていたことが解けたり、自分の言語意識を考えさせられたりした。4月、日本に帰っていた時に書店で購入し、移動する電車の中でよく読んでいたのだが、読んでいる間、電車の中なのに思わず笑ってしまったことも何度もあった。
 以下、面白かったところ、自分の思ったことのメモ。

○「ティーム」か「チーム」か
2010年の甲子園の高校野球の放送で、アナウンサーは「ティーム」、中高年の解説者や監督は、ほとんどが「チーム」。
わたしは自分でたぶん「チーム」と言っているように思うし、意識的にも「ティーム」はなんか言うのが恥ずかしい。自分の言葉遣いが中高年だと、いい加減自覚すべきなのだろう。

○おとっつぁん、おとうさん、おとうちゃん
私は、母のことは「おかあさん」、父のことは「おとうちゃん」と呼んでいた。私の姉もそうで、私たち姉妹は「友だちの前でおとうちゃんって言うのはちょっと恥ずかしいよね」とよく言っていた。友だち同士で両親のことを話題にする時には、「父」というのも堅苦しいし、「おとうちゃん」とは言いたくないしで「うちの父親が…」と言っていた。原因を察するに、父の言葉遣いが「お母さん」で、母の言葉遣いが「お父ちゃん」だったものが、子どもに伝わったのだろう。
母が母方の私の祖父をどう呼んでいたか、最近、母が少し混乱し、私の祖父を「お父ちゃん」と呼ぶことから、知った。本書によると、昭和の初期はまだ「おとうさん、おかあさん」より、「おとうちゃん、おかあちゃん」「とうちゃん、かあちゃん」等が優勢だったのだという。母の言い方は、これによると、時代の優勢的な言い方だったのだ。父はというと、祖母を「ママ」と読んでいたのを小さい頃耳にして驚いた記憶がある。これまた本書によると、昭和初期にモダンな家庭で使われるようになったということだ。父がこれを私の母に対して使わなかったのは、恐らく母が嫌がったからなのではないかと思うが、その時には一般化した「お母さん」を父が使うようになったのだと思う。

○敬語の使い方
サークルやメンバー間の敬語についての卒業論文の話があった。高校時代の下級生の方がストレートに進学し、浪人した上級生よりも、大学の同じサークルで「先輩」になってしまった。この場合、サークルのメンバーの前では、かつての上級生もかつての下級生に敬語を使うが、サークル外では高校時代の上下関係に戻る傾向が強いという結論だった、というものだ。実は、私も身近に似たような例を聞いたことがある。過去は「同級生」だったが、大学で先輩後輩になってしまったというものだ。この時もサークルのメンバーの前では後輩が先輩に敬語を使うが、みんなが以内ところでは以前に戻るということだった。しかし、以前同級生ならまだしも、上下逆転はかなり気まずいなあと私などは思ってしまう。
敬意表現が年齢によるのか、立場によるのか、というのでは、テレビドラマを見ていて思ったことがある。会社内でのことだが、以前の先輩が、部下になったというケースがわりとよく見られるが、そこでの言葉遣いだ。上記のサークル例と同じように、全体の前と、二人だけになったのとでは違うこともあった。実際のところはどうなんだろう?

○大丈夫
大丈夫のさきがけは「瀬戸の花嫁」の中の「愛があるから大丈夫なの」あたりらしいとあった。それが近年は、その用法を著しく拡大して
「事務室あいてるかい?」「まだダイジョウブです」、「ケイタイ持ってきた?」「ダイジョブです」など、「大丈夫」のオンパレードである。
私も、最近、こんなところで「大丈夫」を使うのかと思っていることがあったのを思い出した。前に書いた「そうなんですね」(「そうなんですね」というあいづち「そうなんですね」というあいつち その2)と同じように、店員さんの応対でなのだが、こちらが「すみません」というと「大丈夫です」という返事。こちらが「すみません」と言っておいてなんなのだが、この返事にも多少違和感を感じた。私が思う返事は「いえいえ…」のようなものだが、「大丈夫です」と言われると「迷惑かけられたけど、大丈夫です」という気がする。(「いえいえ…」の場合は、「迷惑かけられてないですよ」という感じ。)この「大丈夫です」も何回か聞いたことがある。
本書の例を読んで、「大丈夫です」に違和感を感じていた私だが、自分の用法も年上の人が聞いたら違和感を覚える使い方をしているのかも、とちょっと思った。

○漱石も「全然悪いです」と言っていた
以前、twitterで話題になっていたが、「全然」を否定ではなく使う用法について。明治・大正のころは否定にも肯定にも呼応していたとのことだ。
知らなかったのは、「とても」が、本来は否定の形で結ばれるものだった、ということ。まあ、現在の「非常に」の意味で使われるようになったのは明治の中頃とあるので、知らなくて当然かもしれないが。

全体として思ったのが、中に出てくる例が、古い文献あり、台灣の事例あり、はたまたテレビでアナウンサーが言っていたものもあり、とにかく、アンテナがはりめぐらされているなということ。私もこんな風にピピッと感じていたいものだ。

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