2013年8月11日日曜日

狂言をベースにした日本語劇

 たまにブログのトラフィックを見るのだが、「狂言 盆山」の検索ワードからこのブログに着く人が時々いる。ずーっと前に書いた、それも公開する前に自分のメモ代わりとして書いた記事(狂言「盆山」)にたどりつくので、見た人はなんかわけのわからない記事だなと思われることだろう。それはそれでブログ記事なんてそんなものなのだからしょうがないと思うのだが、そんなことやってたなと以前の自分を思い出したので、前にやっていたことをすっかり忘れてしまわないうちに書いておく。
 10分ぐらいの短い日本語劇をやってほしい
英語専攻の学生は4年次に卒業公演で英語劇を行う。その公演の前振りに日本語劇をしてほしいというものだった。日本語劇をするのは、日本語を第二外国語として学んでいるその学科の3年生。結論から言うと、狂言を元に私が脚本を書き、それを演じてもらった。以前務めた学校での最後3年間、毎年行なっていた。

 題材を狂言にするまでに考えたこと。
1.10分前後でまとまったストーリーになっているもの。
2.セリフが簡単であるもの。

 演じる学生にも見てくれる人にも、笑いの要素があるものがいいだろうとそれまでの経験から考えた。大人の学生であっても、日本の映画で何を見ようかを尋ねるとコメディがいいという。ある人に言われたのは「どうして日本のドラマはどれを見ても説教的な要素があるんですか」だった。言われて確かにと思う。息抜きに見ているのに説教されなくてもなあと私も今は思う。
 ただ、アメリカのコメディドラマを見てバックの笑い声を聞きながら「何がおかしいのだろう??」と感じることがあるように「笑い」は実は難しい。うけるものとうけないものがあるのはわかる。全部うけるわけではないが、うけるものもあるだろうから、そういうものを選べばいい。
 更に、求められていたものは「日本的な」もの。見てひと目で日本っぽいとわかるような、できる範囲で言えば、着物と言わなくても浴衣を来てそれっぽく見えたほうがいい。だから現代劇という選択肢はなかった。
 「昔話みたいなのでいいから」と言われた。例えば、桃太郎は台湾でもよく知られている。でも、やはり大学生なのだから子どもが読むような物語は避けたかった。大学生が公演で「昔話をやります」と言ったら、私だったら少し子どもっぽい感じがして恥ずかしい。大人でも十分楽しめるかもしれないしやりかた次第かもしれないが、逆にそのやり方はかなりの技巧が必要だ。日本語があまりできないのだから内容もそれなりに…というのではなく、一応、大学生が堂々と周りの人に「これを公演するんだ!」と言えるものにしたかった。
 ということで考えたのが、「狂言」だった。まず狂言は笑い話である。さらに、一つのストーリーが短く完結している。それに日本の伝統芸能だから、「日本的なもの」という要求は十分過ぎるほど満たしている。現代語にアレンジするにせよ、一応伝統芸能。「日本の狂言を公演したんですよ。まあ、セリフは現代語ですけど」ぐらいだったら、大学生として許せる範囲なのではないか。
 狂言のセリフは、繰り返しが多い。すぐ前の人が言ったセリフを次の人がそれを受けてほぼ同じことを言う。同じセリフが何度も出てくると学生にとっては覚えやすい。
 狂言は演じる人数が二人か三人なので、それでは参加する学生があまりにも少ない。そこで出る人を水増しし、10人ぐらいは参加できるようにした。
 最初に選んだのは「附子」。実は以前の仕事で入手した小学校国語教科書に「附子」の現代語版があった。主人が留守をするときに、毒だから絶対食べるなと言ったが、実は砂糖で…というあの話だ。話としてとてもポピュラーだし(小学校の教科書にのるくらいだから)、何より現代語が手元にあったのでこれを選んだ。
 二年目が前に書いた「盆山」。これはYouYubeに日本のお笑い番組が狂言を演じたものがあったのでそれを元にした。三年目は「仁王」。子ども向けの本から現代語版を入手し、それを元にした。
 狂言は言葉遊びの面白さを基本にしているものも多くあるが、それは笑いとして伝わらないので、私が選んだ三作はどれもストーリーに笑いがあるものだ。全体の面白さは伝わる。学生も笑いの要素がわかるのでそれを元に演じていた。ただ、どれも終わり方がなんとなく「終わり」という感じがしないようで、そこは、学生が勝手にアレンジを加えていた。観客向けに中国語の字幕も用意した。二年目、三年目は「今年何やるの?」と三年生に楽しみにしてくれていた学生もいた。
 私は元々演劇好きなので、この仕事は苦労もあったが、楽しかった。狂言は、手軽な公演のネタとしておすすめである。  

0 件のコメント:

コメントを投稿