先週会話授業のテスト(1対1の面接方式)をしたのだが、その中で上記のことを聞いた。
簡単な意見を言う題材を教材に入れようということで、上記を含むいくつかを授業の中で行ったのだが、授業の中では「割り勘」意見が大半で、あまり面白い意見が聞けなかった。しかし、テストで一人一人に聞いてみると、少し様子が違った。
元々、「デートの時にお金使ったことな~い。女の子がデートでお金払うなんて信じられな~い」という学生や、「デートはやっぱり男が支払うべきでしょう。そこは、僕、台湾男子なんですよ。」という両親台湾人、日本生まれ日本育ちの男の子の発言を聞いていて、仰天しながらも、どうなんだろう?と興味津々に思っていた。
まあ、日本でも「デート代は男性払い」という感覚はなくはないのだろうが、でも、ここは台湾。「日本は男女不平等が多いけど、台湾は平等!」と話す学生が多い。真偽はともかく、男女は平等、でもデート代は男性が払うもの、というのは、なんでしょ?と思ってしまう。
さて、結果。の前に、大前提として、ここで選択肢としてあるのは、「男性がすべて支払う」か「割り勘にするか」。いや女性がすべて支払うのが筋でしょう、なんていう選択肢はない。一応、授業の時に確認してみたが、みんな笑いながら「ないない」とのこと。私もそんな考えは毛頭ないのだが…。
クラスに男子学生は少ないが、その少ない男性の意見。割り勘意見もあったが、「私が払う」「一般論として割り勘でもいいが、自分は払う」という意見も。
女子学生の意見。みんな「割り勘がいいと思います」。そこで突っ込んで「相手がどうしても払うと言ったらどうする?」というと、「次は私が払うからと言ってとりあえず払ってもらう」「何かお返しにプレゼントする」という「とりあえず受け入れる」意見が大半。そこをもう1回突っ込むと(私もしつこい)、しょうがないから受け入れるという「男性払ってもいいんじゃないの。そんなに言うなら」という派と、「お金を払うデートはしないと主張する」という受け入れられない派に分かれる。そしてどちらかと言うとそんなに言うなら…派が多いかなと思った。
少ない意見から乱暴に結論を出してしまうが、「一般論として割り勘でもいいが、自分は払う」というのが、台湾男子がデート代を支払うという意見の大半なのではないかと思った。(クラスの中で割り勘主張が多かったのは実際こういうことだろう)そしてそれは、「そんなに言うなら…派」の声を聞き、「割り勘と言っている人も、実はそう思っていないのでは…」という危惧から来るのだと思う。実際、はっきりそう言った学生もいた。(割り勘でいいと言っているけれど、本当にそうしたらケチなやつと思われる…)なんかわかるなあ、その感覚。
「それが男子のプライド」「払わないのは、『あんたには私が金を払う価値がない』と思っていると思われるのでは」という、少々過激発言もあった。
私がわからなかったのは、女子学生の複数意見で「全部払ってもらうと分かれる時に困る」というもの。え?なんで?分かれたいけど、相手がこんなにしてくれたんだし…と分かれにくくなるからなのだろうか。突っ込んで聞いてみたのだけれど、説明の難易度が高かったのか、あまりわかりやすい回答は得られなかった。
最後に付け加えておくが、今回聞いた学生たちは「恋愛経験がないんですけれど…」という学生が多かったので、実際にどう行動するかはわからない。それに、こういう一般論的な感覚が判断材料になるのは、たぶんデート初期なのだろうから、実際にデートを何回もすれば割り勘に移行することもあるだろうな、と思う。いずれにしても男子学生大変ですね、というのが私の全体の感想だ。
一人現在つきあっている人がいるという学生の話。デート代は割り勘だという。「最初のデートはどうだったの?」と聞くと、「私たちは高校のクラスメートで、最初のデートは学校の図書館だったから…」と、なんともほのぼのした回答が返ってきた。
2013年1月19日土曜日
2012年12月23日日曜日
聴解自律学習-今学期はNews web easyが人気
昨年、あまりうまくいったとも思えなかったのだが、今年も聴解自律学習を始めた。(昨年のことは聴解自律学習サポートに書いた)
今年は、昨年の反省も踏まえ、まずは、
元々、教師がこんなことを言わなくても自分で好きなものを聞いているという学生も必ずクラスの中にはいる。そんな学生には、私の課題は少し面倒か、別にサポートになっているわけではないので、この聴解自律学習のターゲットになる学生は、
去年の学生からの声で「それもそうだな」と思ったのは「何を聴くか決めるのが一番難しい」というもの。何でもいいからやれ!という言い方もあるかもしれないが、「あ、これいいな」というものに出会いたいという気持ちもよくわかる。私もそうだし。
それで、今学期の方針は二つ。
1、学生同士で情報を共有できるようにすること
2、計画とか目標とかわからなかったら、とりあえずいろいろ聞いてみること
学生同士で情報を共有するために、毎週、大学のe-learningサイトの掲示板に書いてもらうことにした。あまり見やすいものではないのだが(なぜか画面を開いても投稿内容がすぐには表示されず、クリックをしないと内容が見られない)、それでも、「みんな何やってるのかな」と知りたいと思ったらそこを見ることができる。
2については、まず、「なんか継続的に聴くのは大事だとみんなも思ってるよね。でも、一番難しいのは、何を聴くか決めることかも…」という話をして、今回は最初に何を聴くかを決めていいけれど、自分に合わないなと思ったらすぐ変えてほかのものを聴いてみたほうがいい、と言った。これは、私の英語多読の経験から来ている。英語多読でも「難しいと思ったらすぐやめる」と言っているが、これは苦痛が減る一つのいい方法だ。
聴解リソースは昨年と同様、プリントでいくつか例を示した。今回増やしたのは、NHKのNews Web Easyとprende Audio、それとNTT西日本コミュニケーション大賞(これは公開がもうすぐ終わってしまうが)。
先週、第一回目の投稿があった。掲示板のタイトルを「○月○日まで、私はこれをしました!」というものにしたところ、いくつか面白いものがあった。テレビ番組を字幕なしで見ようとしたけれど全然わからなかった(「打撃了」→日本語にすると「撃沈」みたいな感じ)と、率直に書いてくれた人もいた。
prende Audioも聞いた人が一人。中にたくさんオーディオドラマがあるのだが、聞いたものは
1.僕の校長先生観察日記(全一回)。2.鈴玉物語(聽到第二話完)。3.オーディオドラマ@肉球すたんぷ
だそうだ。こうやって、例を誰かがあげてくれると「たくさんあってどれを聴いていいかわからない!」という人にもいいかなと思う。
わりと多くてびっくりしたのがNews Web Easy。去年は、ニュースを聴くのは少数派だったが、30人弱の学生の中で、News Web Easyを聞いた人が5人もいた。内容に興味が持てないから次回は違うものにする、という感想もあったが、「最初はわからなかったけど、下にある文章を読んでもう一度聴いてみたら理解できるようになった」とか「話す速度が比較的ゆっくりでわかりやすい」という高印象の感想もあった。ニュースを初めて聞いてみようという人にはとっつきやすいのかなと思う。
今年は、昨年の反省も踏まえ、まずは、
なんでもいいから聞いてみようねというスタンスで始めることにした。
元々、教師がこんなことを言わなくても自分で好きなものを聞いているという学生も必ずクラスの中にはいる。そんな学生には、私の課題は少し面倒か、別にサポートになっているわけではないので、この聴解自律学習のターゲットになる学生は、
勉強しなきゃなと思っているけど、何をやっていいかわかんないし…というような、きっかけを欲していたり、情報や指針を欲しがっている学生になる。
去年の学生からの声で「それもそうだな」と思ったのは「何を聴くか決めるのが一番難しい」というもの。何でもいいからやれ!という言い方もあるかもしれないが、「あ、これいいな」というものに出会いたいという気持ちもよくわかる。私もそうだし。
それで、今学期の方針は二つ。
1、学生同士で情報を共有できるようにすること
2、計画とか目標とかわからなかったら、とりあえずいろいろ聞いてみること
学生同士で情報を共有するために、毎週、大学のe-learningサイトの掲示板に書いてもらうことにした。あまり見やすいものではないのだが(なぜか画面を開いても投稿内容がすぐには表示されず、クリックをしないと内容が見られない)、それでも、「みんな何やってるのかな」と知りたいと思ったらそこを見ることができる。
2については、まず、「なんか継続的に聴くのは大事だとみんなも思ってるよね。でも、一番難しいのは、何を聴くか決めることかも…」という話をして、今回は最初に何を聴くかを決めていいけれど、自分に合わないなと思ったらすぐ変えてほかのものを聴いてみたほうがいい、と言った。これは、私の英語多読の経験から来ている。英語多読でも「難しいと思ったらすぐやめる」と言っているが、これは苦痛が減る一つのいい方法だ。
聴解リソースは昨年と同様、プリントでいくつか例を示した。今回増やしたのは、NHKのNews Web Easyとprende Audio、それとNTT西日本コミュニケーション大賞(これは公開がもうすぐ終わってしまうが)。
先週、第一回目の投稿があった。掲示板のタイトルを「○月○日まで、私はこれをしました!」というものにしたところ、いくつか面白いものがあった。テレビ番組を字幕なしで見ようとしたけれど全然わからなかった(「打撃了」→日本語にすると「撃沈」みたいな感じ)と、率直に書いてくれた人もいた。
prende Audioも聞いた人が一人。中にたくさんオーディオドラマがあるのだが、聞いたものは
1.僕の校長先生観察日記(全一回)。2.鈴玉物語(聽到第二話完)。3.オーディオドラマ@肉球すたんぷ
だそうだ。こうやって、例を誰かがあげてくれると「たくさんあってどれを聴いていいかわからない!」という人にもいいかなと思う。
わりと多くてびっくりしたのがNews Web Easy。去年は、ニュースを聴くのは少数派だったが、30人弱の学生の中で、News Web Easyを聞いた人が5人もいた。内容に興味が持てないから次回は違うものにする、という感想もあったが、「最初はわからなかったけど、下にある文章を読んでもう一度聴いてみたら理解できるようになった」とか「話す速度が比較的ゆっくりでわかりやすい」という高印象の感想もあった。ニュースを初めて聞いてみようという人にはとっつきやすいのかなと思う。
2012年1月22日日曜日
ピア・レスポンスをやってみようかな…という気になった!
跡部千絵美(2011) JFL環境のピア・レスポンスで日本人教師にできることとは-課題探究型アクション・リサーチによる作文授業の実践報告- 「日本語教育150号」
色々忙しかった中で思わず一気に読んでしまった実践報告。
自分がこの著者と同じように、台湾で作文教育の今まさに真っ最中で、さらにピア・レスポンスに興味はありつつも、いまひとつ踏み込めないでいる、という状況…の私に、「これを読め!」と言わんばかりのタイトル、そして内容だった。
実は、もう随分前になるが、ピア・レスポンスを知る前に、似たようなことをやってみたことがあった。しかし、うまく行かず、数回でやめてしまった。
この実践報告、悩んだこと、失敗したこと、成功したこと等書いてあり、読みながら共感することが多かった。特に、学生は「文法の誤用訂正がほとんどで、内容・構成面へのコメントがほとんどなかった」ことは、実際、私も以前経験したことで、やめてしまった理由である。文法の誤用訂正がほとんどで、更に、訂正したほうが間違っていたり、訂正の必要がなかったり(どちらでも構わない)ということばかりで、意義を見いだせなかった。
私がこの実践報告を読んで「すごいなあ」と思ったところ。私の言葉で簡単にまとめてしまうと
また、私が以前から思っていてこのブログにも書いたこと(「いい文章」-自分の価値観)についても書かれていた。
来学期、ピア・レスポンスを取り入れようという気になっている。ただ、この論文にある実践だと作文のテーマ数が少なく、私が今やっている授業内容の半分もできない。ピア・レスポンスは学期を通して取り入れるものとして、それにより推敲を重ねて完成させるものと、現行の方法で書いてもらうものとの二本立てで行こうか、というのが今のところ考えられるものだ。今はまだもやもやと考えているだけだが、何よりも、あきらめず、根気強く、試行錯誤を重ねながら、やってみようと思っている。
色々忙しかった中で思わず一気に読んでしまった実践報告。
自分がこの著者と同じように、台湾で作文教育の今まさに真っ最中で、さらにピア・レスポンスに興味はありつつも、いまひとつ踏み込めないでいる、という状況…の私に、「これを読め!」と言わんばかりのタイトル、そして内容だった。
実は、もう随分前になるが、ピア・レスポンスを知る前に、似たようなことをやってみたことがあった。しかし、うまく行かず、数回でやめてしまった。
この実践報告、悩んだこと、失敗したこと、成功したこと等書いてあり、読みながら共感することが多かった。特に、学生は「文法の誤用訂正がほとんどで、内容・構成面へのコメントがほとんどなかった」ことは、実際、私も以前経験したことで、やめてしまった理由である。文法の誤用訂正がほとんどで、更に、訂正したほうが間違っていたり、訂正の必要がなかったり(どちらでも構わない)ということばかりで、意義を見いだせなかった。
私がこの実践報告を読んで「すごいなあ」と思ったところ。私の言葉で簡単にまとめてしまうと
内容・構成面へのコメントが少ないのは、そもそも学生がいい内容・構成についてわかっていない可能性がある。なので、内容・構成について考えさせるプリントを作成し、考える活動を行った。次の授業で、内容・構成面についてのピア・レスポンスを行なってくれることを期待していたが、学生には変化が見られず、相変わらず誤用訂正を行なっていた。先週のプリントに沿って話し合うように呼びかけたが、多くの学生は先週のプリントを持ってきていなかった。脱力…すると思う、私ならここで。そしてあきらめる。でもここであきらめずピア・レスポンスを続けていったのは、本当に「すごい!」の一言だ。とにかくこの著者は、何か問題があると方法を考え、先行研究を読み、実践に改善を加え、1年ピア・レスポンスを続けられた。そのプロセス、試行錯誤等々、参考になるものばかりだ。
また、私が以前から思っていてこのブログにも書いたこと(「いい文章」-自分の価値観)についても書かれていた。
…これは大井(2002)が作文の文化差について述べていたことによるものである。大井(2002)は日本人大学生の英語作文が身近な話題になりがちで、アメリカ人大学生のような客観的で分析的な作文を書けないことを指摘していた。ここから、日本人の私が考える“いい作文”が、台湾人学生たちにとっても“いい作文”なのか疑問を持つようになった。北米でPRを実践した松本(1999)も、教師の考える“いい作文”と学生の考えるものが一致せず、学生の考え方を取り入れた。私も自分の意見を押し付けるべきではないと考えた。作文の文化差について言及されているものはあったのか…。自分の勉強不足を反省。
来学期、ピア・レスポンスを取り入れようという気になっている。ただ、この論文にある実践だと作文のテーマ数が少なく、私が今やっている授業内容の半分もできない。ピア・レスポンスは学期を通して取り入れるものとして、それにより推敲を重ねて完成させるものと、現行の方法で書いてもらうものとの二本立てで行こうか、というのが今のところ考えられるものだ。今はまだもやもやと考えているだけだが、何よりも、あきらめず、根気強く、試行錯誤を重ねながら、やってみようと思っている。
2011年11月4日金曜日
日本語パフォーマンスを評価する
前に書いたコンテストのこと。
その朗読コンテストは、審査員3人が教員ではなく、会社の方々だった。今回初めて審査員をする方もいれば、前にも審査員をしたことがある方もいらした。
最後に講評があって、その中で言われていたこと。
自分も東京出身ではなく人のことをあれこれ言えないが、という前置きがあって、
アクセントが違う。
「か」と「が」の発音が区別できていない。
促音「っ」の発音ができていない。
などという内容があった。
「か」と「が」に関しては、聞いていた私は感じていなかったので面白いなと思った。音声的な違いよりも、アクセントから違和感を感じるのではないかと推測した。
また、今回の朗読コンテストは違いがあまりはっきりしないので、あえて点数に違いをつける意味で、という前置きの後、
始まりと終わりにお辞儀をした人を高く評価した。
という話もあった。この時に確か、そういう礼儀のような日本文化も知ってほしいという話だったと記憶している。
やはり、というか、そういうところを見ているんだなと思った。「お辞儀」や「挨拶」は、駐在員の方がよく言われることだし、日本のいわゆる「会社のマナー」でも言われていることで、こういうところでも評価対象になるのだなと思った。(この話が伝わり、次回は学生たちがみんなお辞儀をするようになるのだろうか…。)
ぱっと見た相手を評価するというのは非常に難しいと思う。私自身も先学期の学期末に代講で学生の発表の評価をして、その難しさを実感した。
その授業は1年生のいわゆる会話のクラス。私は、その大学の2年生は担当したことがあるが、1年生は接したことがなく、2年生も、会話のクラスを担当したのははるか昔のことだったので、1年生の学年末に学生がだいたいどのような状況なのか、というのは、あまり感覚がつかめていなかった。いくつか項目を決め、5段階で評価するようにしていたのだが、「とてもよくできる」か「とても厳しい状況」かはつかめるものの、それ以外の学生はだいたい同じような評価になった。評価しながら、普段担当している学生ならば、もう少し評価にばらつきが出るのではないかと思っていた。ということは、私がしていた評価は、その場での評価ではなく、普段のパフォーマンスと比較しての評価だったということだ。
以前、会社で外国人の採用担当をしていた友人から「教育経験のない人は評価ができない」ということを聞いたことがある。少し難しい単語を言うと、「お、こいつはできる」と思ってしまう。少しつっこめばできないことがわかるのに、そこでつっこまずに相手のペースのままで判断してしまって、できない人を採用してしまう、ということだった。(OPIで言う、いわゆる「おはこ」みたいなことだろう。)
これを聞いて、そういうこともあるだろうなとは思っていて、その時は自分だったらそんなものに惑わされないぐらいの妙な自信があったように思うが、知らない学生の評価をして、自分のできなさに自信がふっとんでしまった。と同時に、みんなどういう観点で評価しているのだろう、というところも大いに気になった。
その意味で、この朗読コンテストの講評は興味深かった。こういう「教育場面」と、例えば会社の面接などでは、評価する側も見方が違うかもしれないが、参考になると思った。
その朗読コンテストは、審査員3人が教員ではなく、会社の方々だった。今回初めて審査員をする方もいれば、前にも審査員をしたことがある方もいらした。
最後に講評があって、その中で言われていたこと。
自分も東京出身ではなく人のことをあれこれ言えないが、という前置きがあって、
アクセントが違う。
「か」と「が」の発音が区別できていない。
促音「っ」の発音ができていない。
などという内容があった。
「か」と「が」に関しては、聞いていた私は感じていなかったので面白いなと思った。音声的な違いよりも、アクセントから違和感を感じるのではないかと推測した。
また、今回の朗読コンテストは違いがあまりはっきりしないので、あえて点数に違いをつける意味で、という前置きの後、
始まりと終わりにお辞儀をした人を高く評価した。
という話もあった。この時に確か、そういう礼儀のような日本文化も知ってほしいという話だったと記憶している。
やはり、というか、そういうところを見ているんだなと思った。「お辞儀」や「挨拶」は、駐在員の方がよく言われることだし、日本のいわゆる「会社のマナー」でも言われていることで、こういうところでも評価対象になるのだなと思った。(この話が伝わり、次回は学生たちがみんなお辞儀をするようになるのだろうか…。)
ぱっと見た相手を評価するというのは非常に難しいと思う。私自身も先学期の学期末に代講で学生の発表の評価をして、その難しさを実感した。
その授業は1年生のいわゆる会話のクラス。私は、その大学の2年生は担当したことがあるが、1年生は接したことがなく、2年生も、会話のクラスを担当したのははるか昔のことだったので、1年生の学年末に学生がだいたいどのような状況なのか、というのは、あまり感覚がつかめていなかった。いくつか項目を決め、5段階で評価するようにしていたのだが、「とてもよくできる」か「とても厳しい状況」かはつかめるものの、それ以外の学生はだいたい同じような評価になった。評価しながら、普段担当している学生ならば、もう少し評価にばらつきが出るのではないかと思っていた。ということは、私がしていた評価は、その場での評価ではなく、普段のパフォーマンスと比較しての評価だったということだ。
以前、会社で外国人の採用担当をしていた友人から「教育経験のない人は評価ができない」ということを聞いたことがある。少し難しい単語を言うと、「お、こいつはできる」と思ってしまう。少しつっこめばできないことがわかるのに、そこでつっこまずに相手のペースのままで判断してしまって、できない人を採用してしまう、ということだった。(OPIで言う、いわゆる「おはこ」みたいなことだろう。)
これを聞いて、そういうこともあるだろうなとは思っていて、その時は自分だったらそんなものに惑わされないぐらいの妙な自信があったように思うが、知らない学生の評価をして、自分のできなさに自信がふっとんでしまった。と同時に、みんなどういう観点で評価しているのだろう、というところも大いに気になった。
その意味で、この朗読コンテストの講評は興味深かった。こういう「教育場面」と、例えば会社の面接などでは、評価する側も見方が違うかもしれないが、参考になると思った。
2011年11月3日木曜日
第4回中東日本語教師オンライン研修 「聴解のリソースを増やすには?」
先週の土曜日のこと。私は中東とは関係ないのだが、twitterで流れてきた「聴解リソースを増やすには?」のタイトルにひかれた。ちょうどその時、学生に配る聴解リソースを紹介するプリントの作成中で、私にとって実にタイムリーな内容だった。
第4回中東日本語教師オンライン研修「聴解のリソースを増やすには?」
【追記】
上記の内容はむらログの聴解リソースを増やすには?に概要がある。
ustreamをライブで聞くのは二度目。(前は趣味で伊達公子選手の番組を見た。)twitterでログインはしたものの、ちょっとそこに書くのは遠慮してしまった。
後になって思えば、主催している側の方は、相当やりにくい状況にあると思う。実際の研修会であれば、聞いている人の反応がその場でわかるのだが、オンラインではtwitterなどで反応しないかぎり、聴衆の状況が全くわからない。音が聞こえないなどのはっきりした問題は反応があるが、それ以外について、普通の会場で聞こえるような「へえー」という声や顔がわからないのだから、進める側はやりにくい中手探りでやっていくしかない状況なのだなと思った。
ライブを見ながら、紹介されていくリソースを実際に自分で見て、気づいたことをメモしていった。ustreamは録画で見ると少々かったるく感じることもあるのだが、ライブで見るとそれを感じなかった。日本語能力試験の海外での受験者の聴解部門の得点の低さがグラフ化されていて見やすかった。学生へ聴解の練習を進めるのにも説得力があると思った。紹介されていたリソースは、知っているものもあれば知らないものもあって、参考になった。
どのぐらいの時間だったかは忘れたが、内容も充実していてあっという間に時間が過ぎた。こうやって、遠くにいながら、話を聞くことができたり、途中スカイプのチャットでの話を見たり、参加しようと思えばtwitterで意見を言うこともできる。以前、研修会でスカイプで日本の先生に講演をしていただいたことがあるが、その時も、便利になったものだと感じた。
しかし、後で、「私の聞き方ってどうなの?」と考えてしまった。数年前から学会に行くとPCカシャカシャという風景を見るようになった。私はまだそういうことをしたことがないのだが、なんとなく、雰囲気に違和感を感じてしまう。人の話は顔を見て聞け、的な感覚が抜けないのだろう。
今回は、相手には見えないということもあり、話を聞きながら、話に関係のあることではあるが、いろいろ勝手にやりながら聞いていた。こういうことを続けていくと、実際に話を聞きに行ってもカシャカシャやることに抵抗がなくなるのかもしれない。
話は横道にそれるが、こないだ、ある先生との話で、今の学生はメールの書き方を知らないで先生に対してもきちんとしたメールが書けない、ということが話題になった。その時に、我々の世代(漠然とした我々世代ではあるが)は、書くということが、鉛筆やペンを持って紙を前にして、という日常とは少し違う姿勢をとるので、気持ちも自然と「ちゃんとした」「日常とは違う」ものになっていた。しかし、今は日常の中で書くことが頻繁に行われているので、「書く」ことが日常の一部となり、その延長線上で教員宛てにもメールを書いてしまうから、つい普段の話、のようなものになってしまうのではないか、という話をした。
以前、学生がいわゆる内職をしているのを注意して「でも、ちゃんと聞いてますから。」と言われ、結構びっくりしたことがある。こういう現在のテクノロジーに慣れていくと、「話の聞き方」にも変化が出てくるかもしれない。
第4回中東日本語教師オンライン研修「聴解のリソースを増やすには?」
【追記】
上記の内容はむらログの聴解リソースを増やすには?に概要がある。
ustreamをライブで聞くのは二度目。(前は趣味で伊達公子選手の番組を見た。)twitterでログインはしたものの、ちょっとそこに書くのは遠慮してしまった。
後になって思えば、主催している側の方は、相当やりにくい状況にあると思う。実際の研修会であれば、聞いている人の反応がその場でわかるのだが、オンラインではtwitterなどで反応しないかぎり、聴衆の状況が全くわからない。音が聞こえないなどのはっきりした問題は反応があるが、それ以外について、普通の会場で聞こえるような「へえー」という声や顔がわからないのだから、進める側はやりにくい中手探りでやっていくしかない状況なのだなと思った。
ライブを見ながら、紹介されていくリソースを実際に自分で見て、気づいたことをメモしていった。ustreamは録画で見ると少々かったるく感じることもあるのだが、ライブで見るとそれを感じなかった。日本語能力試験の海外での受験者の聴解部門の得点の低さがグラフ化されていて見やすかった。学生へ聴解の練習を進めるのにも説得力があると思った。紹介されていたリソースは、知っているものもあれば知らないものもあって、参考になった。
どのぐらいの時間だったかは忘れたが、内容も充実していてあっという間に時間が過ぎた。こうやって、遠くにいながら、話を聞くことができたり、途中スカイプのチャットでの話を見たり、参加しようと思えばtwitterで意見を言うこともできる。以前、研修会でスカイプで日本の先生に講演をしていただいたことがあるが、その時も、便利になったものだと感じた。
しかし、後で、「私の聞き方ってどうなの?」と考えてしまった。数年前から学会に行くとPCカシャカシャという風景を見るようになった。私はまだそういうことをしたことがないのだが、なんとなく、雰囲気に違和感を感じてしまう。人の話は顔を見て聞け、的な感覚が抜けないのだろう。
今回は、相手には見えないということもあり、話を聞きながら、話に関係のあることではあるが、いろいろ勝手にやりながら聞いていた。こういうことを続けていくと、実際に話を聞きに行ってもカシャカシャやることに抵抗がなくなるのかもしれない。
話は横道にそれるが、こないだ、ある先生との話で、今の学生はメールの書き方を知らないで先生に対してもきちんとしたメールが書けない、ということが話題になった。その時に、我々の世代(漠然とした我々世代ではあるが)は、書くということが、鉛筆やペンを持って紙を前にして、という日常とは少し違う姿勢をとるので、気持ちも自然と「ちゃんとした」「日常とは違う」ものになっていた。しかし、今は日常の中で書くことが頻繁に行われているので、「書く」ことが日常の一部となり、その延長線上で教員宛てにもメールを書いてしまうから、つい普段の話、のようなものになってしまうのではないか、という話をした。
以前、学生がいわゆる内職をしているのを注意して「でも、ちゃんと聞いてますから。」と言われ、結構びっくりしたことがある。こういう現在のテクノロジーに慣れていくと、「話の聞き方」にも変化が出てくるかもしれない。
2011年10月13日木曜日
「団塊の世代」は男性を指すことが多い【授業メモ】
文章の中に「団塊の世代」という言葉があったとき、男性をイメージすることが多いと思います。
ずいぶん前になるが、非常勤で教えている大学に、日本から視察に来ていたN先生といっしょに食事をしてお話した。その時に、聞いたこと。
N先生は日本の大学の留学生センターで仕事をしている。
「団塊の世代」という言葉を聞くと、N先生はまず、男性をイメージすると言う。そう言われれば、私もそうだ。雑誌や新聞などの中で、「団塊の世代の○○さん」と書いてあったら、無意識のうちに男性をイメージしていると思う。そういう言葉の持つイメージを、学生に伝えたいと、「団塊の世代」という言葉が載っている文章を探し、それが男性をさしているか女性をさしているか、を学生に調べてもらった。結果は、「団塊の世代」は男性に言及していることが多かったとのことだ。
世代を表す言葉でいうと「バブル世代」や「団塊ジュニア」などがある。それらも、ある種のイメージがあるだろうと思う。また、感覚的に、ある時期に使われる「バブル世代」と、別の時期に使われる「バブル世代」とは、別の意味・イメージを持っているのではないかと思う。今の「バブル世代」は、40代半ばぐらいの年齢で、会社などである程度の地位を持つ世代になっている。今使われている「バブル世代」は、やはり男性を指すことが多いそうだ。私自身は「バブル世代」といわれてもあまり男性をイメージしない気がするが、「バブル世代」が今の歳になる前、もう少し時期をさかのぼって使われ方を見ると、使われ方が違うのではないかと思った。
「団塊の世代」、世代的にどの世代のことを言っているかということだけでなく、それが持つイメージ、使われる文脈などを調べるのは面白いと思った。
ずいぶん前になるが、非常勤で教えている大学に、日本から視察に来ていたN先生といっしょに食事をしてお話した。その時に、聞いたこと。
N先生は日本の大学の留学生センターで仕事をしている。
「団塊の世代」という言葉を聞くと、N先生はまず、男性をイメージすると言う。そう言われれば、私もそうだ。雑誌や新聞などの中で、「団塊の世代の○○さん」と書いてあったら、無意識のうちに男性をイメージしていると思う。そういう言葉の持つイメージを、学生に伝えたいと、「団塊の世代」という言葉が載っている文章を探し、それが男性をさしているか女性をさしているか、を学生に調べてもらった。結果は、「団塊の世代」は男性に言及していることが多かったとのことだ。
世代を表す言葉でいうと「バブル世代」や「団塊ジュニア」などがある。それらも、ある種のイメージがあるだろうと思う。また、感覚的に、ある時期に使われる「バブル世代」と、別の時期に使われる「バブル世代」とは、別の意味・イメージを持っているのではないかと思う。今の「バブル世代」は、40代半ばぐらいの年齢で、会社などである程度の地位を持つ世代になっている。今使われている「バブル世代」は、やはり男性を指すことが多いそうだ。私自身は「バブル世代」といわれてもあまり男性をイメージしない気がするが、「バブル世代」が今の歳になる前、もう少し時期をさかのぼって使われ方を見ると、使われ方が違うのではないかと思った。
「団塊の世代」、世代的にどの世代のことを言っているかということだけでなく、それが持つイメージ、使われる文脈などを調べるのは面白いと思った。
2011年10月2日日曜日
第二外国語の「日本語」が目指すもの
前に書いた発表討論会でのこと。「日本語自学ハイウェイ構想」の発表の質疑応答で、高校で日本語を教える先生から「ハイウェイ構想をどう高校の日本語に応用していけばいいのか」というような主旨の質問が出た。(何とおっしゃっていたかは、うろ覚え。でもこのような内容だと私は理解した。)
その後も、みんなの自由討論で、「持続的な学習をしていくには…」のようなことを話していたときに、高校の先生や、大学でも第二外国語担当の先生からは、「自分の現場とは離れている」というような主旨の話が出た。(と思う。)
私は高校で教えたことはなく、先日の発表で高校での授業時間数は60-64時間ぐらいというのを聞き、改めてその時間数だと「何をしたらいいんだろう…」という気持ちになるだろうと思った。すでに書いたが、私も大学の第二外国語で「ここは何をすると考えればいいんだろう」と考えたことがある。
台湾で日本語を学んでいる学生で、「仕方なくやらされている」という状況はよくある(私の知るところでは)。私の以前の勤務校は「日本語を履修しなければならない」学生ばかりの状況だった。もちろん好きで学んでいる学生もいるが、ずっと「なんでやらされなきゃいけないの」と思っている学生もいる。
実際、「日本語」を勉強しなければならない理由など、ない。履修しなければならない状況に置かれている学生は、学校が開講していたのが「スペイン語」ならスペイン語を、「ドイツ語」ならドイツ語を勉強していたのだろうから、例えば、ひらがな五十音を覚えなければならない理由などない。
私の勝手な思い込みかもしれないが、台湾では外国語はまず英語、そして第二外国語としては日本語がかなり主流であったように思う。二番手の日本語はわりとゆるぎなく二番手だった。先日、高校で教えている教員に聞いたのだが、彼女が教えている高校は今までは第二外国語は日本語だけだったが、新たにスペイン語など他の言語も取り入れられ、教員としての彼女は授業時数が減ることになってしまった。(元々は専任教員だったのだが、授業時数が足りないので専任扱いにはならないとのこと。詳しい事情はよくわからないが、私が高校の教員だったら、かなりあせるような状況だ。)たぶんそういう状況は今後も続いていき、ゆるぎなかった二番手の日本語は、その位置が変わっていくのだと思う。
最初に書いた「自学ハイウェイ構想」を高校の日本語にどう応用していくかであるが、私は大学の日本語主専攻と高校の第二外国語とは、違うように思う。ハイウェイ構想の比喩を借りるのならば、大学の主専攻日本語は運転免許を取得し車でどこかへ移動することが目的であるが、高校一年生(第二外国語は一年や二年次に履修するようになっていることが多いらしい)に、運転免許を取得させることはできないし、じゃあ、全員に原付の免許を取得させようというと、別に原付免許なんていらない(台湾ではそうでもないかも知れないが、日本では)という人も多いだろう。もう少したとえを続けると、そこであり得るのは、たぶん、交通ルールを理解したり、車を運転している人の視点や視界を理解して、自分が歩行者としてや自転車に乗る際に交通事故をどう避けるかなどの、安全教習的なものだと思う。
話を戻すと、高校の第二外国語での目的は、「日本語」を習得することそのものにあるのではないだろう。発表討論会の高校の先生の発表原稿を見ると、高校の第二外国語の位置づけは「培養興趣的科目」(教養科目、興味関心を育成する科目)とある。「興味関心を育成する」と勝手に訳したが、興味関心の育成はなかなか厄介だ(日本の小学校の英語教育の悩みと共通するところがある気がする)。しかし、大事なことは、たとえどんな言語を学ぶにせよ、共通した目標がそこにはあるはずだ。少なくともそういう前提に立たなければならない。
発表討論会の中で引用した
これまた全く知識足らずの可能性もあるが、今は、「大学での日本語教育があって、高校の日本語教育があって…」という繋がりで捉えられている気がする。それもそれでよいが、高校のいろいろな外国語担当の教員が繋がっていく、そこでいっしょに考えていく、という繋がりも必要だと思う。そして、ゆるぎない二番手だった日本語の教員が、今までの蓄積された知恵や悩みを元に、リーダーシップをとっていけたらよいなあと思う。
その後も、みんなの自由討論で、「持続的な学習をしていくには…」のようなことを話していたときに、高校の先生や、大学でも第二外国語担当の先生からは、「自分の現場とは離れている」というような主旨の話が出た。(と思う。)
私は高校で教えたことはなく、先日の発表で高校での授業時間数は60-64時間ぐらいというのを聞き、改めてその時間数だと「何をしたらいいんだろう…」という気持ちになるだろうと思った。すでに書いたが、私も大学の第二外国語で「ここは何をすると考えればいいんだろう」と考えたことがある。
台湾で日本語を学んでいる学生で、「仕方なくやらされている」という状況はよくある(私の知るところでは)。私の以前の勤務校は「日本語を履修しなければならない」学生ばかりの状況だった。もちろん好きで学んでいる学生もいるが、ずっと「なんでやらされなきゃいけないの」と思っている学生もいる。
実際、「日本語」を勉強しなければならない理由など、ない。履修しなければならない状況に置かれている学生は、学校が開講していたのが「スペイン語」ならスペイン語を、「ドイツ語」ならドイツ語を勉強していたのだろうから、例えば、ひらがな五十音を覚えなければならない理由などない。
私の勝手な思い込みかもしれないが、台湾では外国語はまず英語、そして第二外国語としては日本語がかなり主流であったように思う。二番手の日本語はわりとゆるぎなく二番手だった。先日、高校で教えている教員に聞いたのだが、彼女が教えている高校は今までは第二外国語は日本語だけだったが、新たにスペイン語など他の言語も取り入れられ、教員としての彼女は授業時数が減ることになってしまった。(元々は専任教員だったのだが、授業時数が足りないので専任扱いにはならないとのこと。詳しい事情はよくわからないが、私が高校の教員だったら、かなりあせるような状況だ。)たぶんそういう状況は今後も続いていき、ゆるぎなかった二番手の日本語は、その位置が変わっていくのだと思う。
最初に書いた「自学ハイウェイ構想」を高校の日本語にどう応用していくかであるが、私は大学の日本語主専攻と高校の第二外国語とは、違うように思う。ハイウェイ構想の比喩を借りるのならば、大学の主専攻日本語は運転免許を取得し車でどこかへ移動することが目的であるが、高校一年生(第二外国語は一年や二年次に履修するようになっていることが多いらしい)に、運転免許を取得させることはできないし、じゃあ、全員に原付の免許を取得させようというと、別に原付免許なんていらない(台湾ではそうでもないかも知れないが、日本では)という人も多いだろう。もう少したとえを続けると、そこであり得るのは、たぶん、交通ルールを理解したり、車を運転している人の視点や視界を理解して、自分が歩行者としてや自転車に乗る際に交通事故をどう避けるかなどの、安全教習的なものだと思う。
話を戻すと、高校の第二外国語での目的は、「日本語」を習得することそのものにあるのではないだろう。発表討論会の高校の先生の発表原稿を見ると、高校の第二外国語の位置づけは「培養興趣的科目」(教養科目、興味関心を育成する科目)とある。「興味関心を育成する」と勝手に訳したが、興味関心の育成はなかなか厄介だ(日本の小学校の英語教育の悩みと共通するところがある気がする)。しかし、大事なことは、たとえどんな言語を学ぶにせよ、共通した目標がそこにはあるはずだ。少なくともそういう前提に立たなければならない。
発表討論会の中で引用した
我々は長いこと「言語」という枠にとらわれすぎていたのではないだろうか。学習の楽しみとは?学習の成果とは何か。ここを本当に真剣に考える必要があるのだと思う。そしてそれは、どんな外国語でも共通するものであり、そこから、じゃあ日本語の例で考えると…、というのが第二外国語教育なのではないかと思う。
これまた全く知識足らずの可能性もあるが、今は、「大学での日本語教育があって、高校の日本語教育があって…」という繋がりで捉えられている気がする。それもそれでよいが、高校のいろいろな外国語担当の教員が繋がっていく、そこでいっしょに考えていく、という繋がりも必要だと思う。そして、ゆるぎない二番手だった日本語の教員が、今までの蓄積された知恵や悩みを元に、リーダーシップをとっていけたらよいなあと思う。
2011年9月30日金曜日
研究会参加メモ-「自律学習」に集まった関心事-「自律的な言語学習のデザインとその支援」 発表討論会
先週、非常勤の勤務校で標記の研究会が行われた。小規模なものだったので集まる人は内輪だけかと思っていたが、他大からも院生を含め参加者がいて、「自律学習」という言葉には関心があるのだと感じた。私も拙い発表をさせていただいた。
当日は「自律を目指すことばの学習」の桜美林大学の齋藤伸子先生もスカイプで講演をしてくださり、そのやり方も初めてのものだったので、色々と面白かった。当日の発表、討論を私なりにまとめ、思ったことを含めメモしておきたい。
○「楽しく走れる日本語自学ハイウェイ構想」
発表原稿のまとめのところで「日本語教育でもさまざまなリソースが用紙されているが、これまではリソースの平面的な羅列にとどまっていた感がある。それをどのような形で学習者に提示していけばよいか、ここでは、われわれの生活に身近な高速道路を例にシステムの全体像を考えてみた」とあるが、運転免許を取得して高速道路を走る楽しみを学習支援システムに置き換えて考えるというものだ。
私の理解で乱暴にまとめてしまうと、
「燃料」を比喩に、語彙の重要性も強調されていた。発表者の先生は、学生に語彙リストをわたしているということだった。日本語では基礎語彙で理解できる範囲が狭く、語彙数が大きな意味を持つからだ。ただ単に教科書に出てくる語彙を覚えましょうというのではなく、将来的にどのぐらいの語彙力がないと、理解ができないかという道筋を提示して、そこにいく道順を語彙リストとして提示しているということなのだろう。
○「スカイプを通した中国語学習支援の一考察」
私も支援してもらったが、この研究会の主催校のK先生担当授業「日語分科教学法」で、学生たちが学習者のニーズを聞いてコースデザインをし学習支援を行った。その学生による発表だった。
元々曖昧な学習者のニーズ(台湾ドラマを中国語で楽しみたい。教科書のような言葉ではなく、台湾人が日常的に使っている文法を知りたい。台湾の友だちへのメールなどを添削してもらいたい。)だったが、年末に高雄を旅行することがわかり、高雄旅行で使える会話を目的にしてコースデザインを行なっていた。
レッスンは週2回、スカイプを通して1時間だが、毎回、予習用の聴解音声、その文字化ファイル、レッスン当日は会話音声ファイル、補充教材、など、多彩なものが用意され、製作した学生たちはさぞ大変だったことだろうと思った。
発表の最後に学習者から高雄旅行の後に送られたお礼のメール(中国語と日本語)があった。コースの中で、「バスに乗る。バスの運転手さんとの会話」というのがあったが、それも実際に使ったということだった。学習者の「使えた」達成感が目に浮かぶようだった。
実は時間がなくて聞けなかったのだが、曖昧なニーズからどうやって高雄旅行のことを聞き出せたのかが知りたかった。結果的には「高雄に旅行するんだからそのためにそこで使える中国語を勉強するのが、実際に使えるし、実用的でいい」と思うが、私たちが実際に「何が勉強したいですか。今、何に困っていますか」のようなニーズの聞き方をされても、「高雄旅行に行くので…」という答えは出てこないことも多いと思う。「自律学習」でも具体的な到達可能な目標設定をするのが難しいことが語られているように思うが、ニーズや目標と学習デザインを結びつけるのは結構難しい。今回は見事に成功させていたが、どうやってそこに到達したのか、そのプロセスを知りたかった。
○「高中第二外語基礎課程自律學習的可能性與問題點」
タイトルを日本語にすると「高校第二外国語基礎課程の自律学習の可能性と問題点」になるかと思う。
発表者の先生が高校の第二外国語選択日本語クラスで行った学生のポスター発表の取り組みが紹介された。
ポスター発表は、生徒たちを6-8人のグループに分け、自分で日本語の素材をさがし、それについて説明するポスターを作るというものだ。
選択で日本語を履修している生徒たちは、元々日本のものが好きないわゆる「哈日」な生徒たちで、日常生活の中で漫画や商品やドラマなどで「なんとなく知っているけどはっきりわからない日本語」を「はっきりわかりたい」という気持ちを持っているという。
この活動で面白いと思ったのは、「他の人に教えてあげる」という活動目的、グループ学習では日本語が得意な生徒が他の生徒に教えるという「協同学習」的な要素が出てきたこと、またアクネス洗顔料という商品を紹介したグループの発表が好評で、それは、広告の中でニキビ対策の洗顔方法が歌になっているのだが、その内容を知ることで、日頃ニキビに困っている多くの高校生にとって「実用的だった」ということだ。
私の記憶では口頭発表の時にはあまり触れられていなかったように思うが、発表原稿を見ると下のように書いてある。
この発表は、そんな現場から、学習者が自分の実際の生活とつながる学習(自分で見た・聞いた素材を持ち込む)、自分が学んだことを人に伝えて喜んでもらうことで学習の達成感を感じる、そこが「自律学習」と関係するところだということだろう。
○「インターネットを使った、日本語学習時に於ける問題解決方法の提案」
発表の主旨をまた乱暴にまとめてしまうと、実際に日本語を使う機会が乏しい学生たちに、実際のコミュニケーションをとる機会を提供したい。それに、インターネットの質問箱サイトが利用できるのではないか、ということだった。
へえ、と思ったのは、日本の質問箱サイトを取得するのに台湾からだとIDが取得できないものがあるということ。紹介されていたのはOKWaveだったが、OKWaveは台湾からでもIDが取得できるが、話の中であったのは確かYAHOOはIDが取得できない(か、投稿ができないか忘れたが)ということだった。
この発表では、教室の教師から与えられる課題をこなすことが学習になっている学生たちに、いかに実際使用機会を与えるか、実際使用機会を通して個々の問題点や課題を見つけてもらう機会を持たせたい、ということから始まっている。そこが「自律学習」とのつながりなのだろう。
この発表討論会に参加して思ったのは、「自律学習」という言葉での関心はそれぞれだということ。時には、思っていることが違っていて、話がかみ合わないと思えることもあるし、その状況は自分のいる現場とは離れていて話にのれない、という雰囲気になることもあった。私自身も終わってから、今日の話はどうまとまっていくんだろう、と考えてしまった。
ちょっと話は横道にそれるが、以前大学院生と話していて、彼らが思う「自律学習」が「学生が目標を決めて自ら楽しく勉強をし続けいていく」という像を思い描いているように感じられ、「それはなんかちょっと気持ち悪い」とコメントしたことがあった。院生たちには思いっきりびっくりされてしまったが、その思いは今も変わっていない。
みんな「自律学習」と聞いて思うことはいろいろあって、共感できない部分もあったりする。でも、そこで、じゃあ「自律学習ってなんですか」のようなことを考えていっても、それは時には必要なことではあるけれど、前に進むことがなかなかできない。ここに集まってきた人たちは、現状肯定そのまま持続という姿勢ではなく、何かやっていこうとか、何か考えていこうとか、そういうことを思っている人たちだ。その思いは充分伝わった気がする。
「自律学習」をタイトルに掲げた発表討論会はこれで二度目(この大学主催の)だった。三度目もしたいということだったが、次回はもう少し突っ込んだ話がしたいなと少し思った。
当日は「自律を目指すことばの学習」の桜美林大学の齋藤伸子先生もスカイプで講演をしてくださり、そのやり方も初めてのものだったので、色々と面白かった。当日の発表、討論を私なりにまとめ、思ったことを含めメモしておきたい。
○「楽しく走れる日本語自学ハイウェイ構想」
発表原稿のまとめのところで「日本語教育でもさまざまなリソースが用紙されているが、これまではリソースの平面的な羅列にとどまっていた感がある。それをどのような形で学習者に提示していけばよいか、ここでは、われわれの生活に身近な高速道路を例にシステムの全体像を考えてみた」とあるが、運転免許を取得して高速道路を走る楽しみを学習支援システムに置き換えて考えるというものだ。
私の理解で乱暴にまとめてしまうと、
今はリソースはたくさんあるけれど、ばらばらに提示されていたが、学習者が自分の学習の通る道を見通せるような提示の仕方をし、そこには、教師だけでなく、いろいろな人が関わるようにできるといい。その提示の仕方、他の人が関わることができるような仕組みを教師が作っていくことを考えたい(通る道筋を提示すること、教師以外の人が関わることが自律学習につながる)ということなのではないかと思う。
「燃料」を比喩に、語彙の重要性も強調されていた。発表者の先生は、学生に語彙リストをわたしているということだった。日本語では基礎語彙で理解できる範囲が狭く、語彙数が大きな意味を持つからだ。ただ単に教科書に出てくる語彙を覚えましょうというのではなく、将来的にどのぐらいの語彙力がないと、理解ができないかという道筋を提示して、そこにいく道順を語彙リストとして提示しているということなのだろう。
○「スカイプを通した中国語学習支援の一考察」
私も支援してもらったが、この研究会の主催校のK先生担当授業「日語分科教学法」で、学生たちが学習者のニーズを聞いてコースデザインをし学習支援を行った。その学生による発表だった。
元々曖昧な学習者のニーズ(台湾ドラマを中国語で楽しみたい。教科書のような言葉ではなく、台湾人が日常的に使っている文法を知りたい。台湾の友だちへのメールなどを添削してもらいたい。)だったが、年末に高雄を旅行することがわかり、高雄旅行で使える会話を目的にしてコースデザインを行なっていた。
レッスンは週2回、スカイプを通して1時間だが、毎回、予習用の聴解音声、その文字化ファイル、レッスン当日は会話音声ファイル、補充教材、など、多彩なものが用意され、製作した学生たちはさぞ大変だったことだろうと思った。
発表の最後に学習者から高雄旅行の後に送られたお礼のメール(中国語と日本語)があった。コースの中で、「バスに乗る。バスの運転手さんとの会話」というのがあったが、それも実際に使ったということだった。学習者の「使えた」達成感が目に浮かぶようだった。
実は時間がなくて聞けなかったのだが、曖昧なニーズからどうやって高雄旅行のことを聞き出せたのかが知りたかった。結果的には「高雄に旅行するんだからそのためにそこで使える中国語を勉強するのが、実際に使えるし、実用的でいい」と思うが、私たちが実際に「何が勉強したいですか。今、何に困っていますか」のようなニーズの聞き方をされても、「高雄旅行に行くので…」という答えは出てこないことも多いと思う。「自律学習」でも具体的な到達可能な目標設定をするのが難しいことが語られているように思うが、ニーズや目標と学習デザインを結びつけるのは結構難しい。今回は見事に成功させていたが、どうやってそこに到達したのか、そのプロセスを知りたかった。
○「高中第二外語基礎課程自律學習的可能性與問題點」
タイトルを日本語にすると「高校第二外国語基礎課程の自律学習の可能性と問題点」になるかと思う。
発表者の先生が高校の第二外国語選択日本語クラスで行った学生のポスター発表の取り組みが紹介された。
ポスター発表は、生徒たちを6-8人のグループに分け、自分で日本語の素材をさがし、それについて説明するポスターを作るというものだ。
選択で日本語を履修している生徒たちは、元々日本のものが好きないわゆる「哈日」な生徒たちで、日常生活の中で漫画や商品やドラマなどで「なんとなく知っているけどはっきりわからない日本語」を「はっきりわかりたい」という気持ちを持っているという。
この活動で面白いと思ったのは、「他の人に教えてあげる」という活動目的、グループ学習では日本語が得意な生徒が他の生徒に教えるという「協同学習」的な要素が出てきたこと、またアクネス洗顔料という商品を紹介したグループの発表が好評で、それは、広告の中でニキビ対策の洗顔方法が歌になっているのだが、その内容を知ることで、日頃ニキビに困っている多くの高校生にとって「実用的だった」ということだ。
私の記憶では口頭発表の時にはあまり触れられていなかったように思うが、発表原稿を見ると下のように書いてある。
最後,重要的是長久以來我們會不會因為課程名稱的「外語」這兩個文字的影響,而把焦點過於放在「語言」這個框架裡?學習的樂趣是什麽?學習的成果該如何定義?這也許未來的研究課題吧!!高校の第二外国語は大学入試とも関係なく、実際の時間数はだいたい60-64時間ぐらい。これは1週2時間で1年間の課程だが、1学期間だけという学校もあるらしい。そんな時間数でいったい何ができるのだろう?そんな風に思っている高校の教員も多いのではないかと思う。高校だけでなく、大学の第二外国語科目を担当している教員にしても同じかもしれない。そう言えば私も、やむなく日本語を学習することになってしまった学生たちを前にして、ここは何をするところだと考えればいいのか、と悩んだことがあった。
(勝手な簡訳:授業名称の「外国語」という言葉に影響され、我々は長いこと「言語」という枠にとらわれすぎていたのではないだろうか。学習の楽しみとは?学習の成果とは何か。今後の課題だろう。)
この発表は、そんな現場から、学習者が自分の実際の生活とつながる学習(自分で見た・聞いた素材を持ち込む)、自分が学んだことを人に伝えて喜んでもらうことで学習の達成感を感じる、そこが「自律学習」と関係するところだということだろう。
○「インターネットを使った、日本語学習時に於ける問題解決方法の提案」
発表の主旨をまた乱暴にまとめてしまうと、実際に日本語を使う機会が乏しい学生たちに、実際のコミュニケーションをとる機会を提供したい。それに、インターネットの質問箱サイトが利用できるのではないか、ということだった。
へえ、と思ったのは、日本の質問箱サイトを取得するのに台湾からだとIDが取得できないものがあるということ。紹介されていたのはOKWaveだったが、OKWaveは台湾からでもIDが取得できるが、話の中であったのは確かYAHOOはIDが取得できない(か、投稿ができないか忘れたが)ということだった。
この発表では、教室の教師から与えられる課題をこなすことが学習になっている学生たちに、いかに実際使用機会を与えるか、実際使用機会を通して個々の問題点や課題を見つけてもらう機会を持たせたい、ということから始まっている。そこが「自律学習」とのつながりなのだろう。
この発表討論会に参加して思ったのは、「自律学習」という言葉での関心はそれぞれだということ。時には、思っていることが違っていて、話がかみ合わないと思えることもあるし、その状況は自分のいる現場とは離れていて話にのれない、という雰囲気になることもあった。私自身も終わってから、今日の話はどうまとまっていくんだろう、と考えてしまった。
ちょっと話は横道にそれるが、以前大学院生と話していて、彼らが思う「自律学習」が「学生が目標を決めて自ら楽しく勉強をし続けいていく」という像を思い描いているように感じられ、「それはなんかちょっと気持ち悪い」とコメントしたことがあった。院生たちには思いっきりびっくりされてしまったが、その思いは今も変わっていない。
みんな「自律学習」と聞いて思うことはいろいろあって、共感できない部分もあったりする。でも、そこで、じゃあ「自律学習ってなんですか」のようなことを考えていっても、それは時には必要なことではあるけれど、前に進むことがなかなかできない。ここに集まってきた人たちは、現状肯定そのまま持続という姿勢ではなく、何かやっていこうとか、何か考えていこうとか、そういうことを思っている人たちだ。その思いは充分伝わった気がする。
「自律学習」をタイトルに掲げた発表討論会はこれで二度目(この大学主催の)だった。三度目もしたいということだったが、次回はもう少し突っ込んだ話がしたいなと少し思った。
2011年8月13日土曜日
[本]ヒューマンな英語授業がしたい!-かかわる、つながるコミュニケーション活動をデザインする
| ヒューマンな英語授業がしたい!―かかわる、つながるコミュニケーション活動をデザインする | |
| 三浦 孝,池岡 慎,中嶋 洋一 | |
授業ネタ満載の本。コミュニケーション活動の例がたくさん載っている。ずいぶん前から持っていたのだが、途中まで読んでそのままになっていた。今回、最初から読み返し読み終えた。
私は英語の授業をしているのではないが、この本の9頁にある
「本当のコミュニケーション」とは何なのか。たとえば英語のネイティブ・スピーカーと話さなければ本当のコミュニケーションとは言えないのか。
「意味のあるタスク」とは何なのか。
「学習者にとって意味深い言語」とは何なのか。(一部略)
実は、ここ20年ほど日本に輸入されてきたCommunicative language Teachingの理論では、こうした詰めの部分が、しっかりと解明されていない。こうした詰めは、英語を母語として話す国々ではあまり必要のないものであり、むしろ実際に教育を行う現地(つまり日本の中学・高校)の生徒、教師、文化、教育制度に合わせて、現場教師の智恵を集大成して行うべきものであり、本家本元は日本にあるものである。
この部分は、そのまま単語を置き換えれば今の自分の状況として考えることができる。
この他にも、この本は思わず「そうそう」と言いたくなるところが随所に出てくる。
例えば、現在の状況として(6頁)
既存のタスクへの考え方にも「そうそう」がある。例えば「問題解決型のタスク」で、従来からある「犯人捜し(殺人事件の犯人を、関係者の供述や目撃証言などからつきとめる活動)」や「生き残りゲーム(気球や救命ボートの乗組員が、乗り物を救うために誰が1人犠牲になるかを議論してきめる)」は
例えば、現在の状況として(6頁)
(1)たとえ教師がコミュニケーション活動を指示しても、生徒が活動に入ろうとしない。たとえば「4人のグループに分かれて机を寄せて向い合いなさい」と指示しても、無視して動こうとしない。これは(4)まであるのだが、どれをとっても「そうそう」と思う。(自分が今までどれだけ失敗してきたかという証明であるが…。)
(2)生徒が一応表面上はコミュニケーション活動に参加する振りをするが、実際には活動しない(たとえば日本語で私語を交わしてお茶をにごし、教師が巡回して来た時だけ英語でやっている振りをする)。
既存のタスクへの考え方にも「そうそう」がある。例えば「問題解決型のタスク」で、従来からある「犯人捜し(殺人事件の犯人を、関係者の供述や目撃証言などからつきとめる活動)」や「生き残りゲーム(気球や救命ボートの乗組員が、乗り物を救うために誰が1人犠牲になるかを議論してきめる)」は
場面設定に難がある。殺人事件も、気球墜落も、前向きな設定ではなく、忌むべきネガティブな場面である。しかも生徒の人生とあまりにかけ離れた絵空事であり、イメージが浮かばない。このような場面設定が話し合うニーズをさほど喚起するとは思われない。「そんな絵空事の事件の犯人当てなんてどうだっていいよ」「べつに気球なんて乗ることないし、誰が生き残ったっていいじゃない」と冷めた声も聞こえてきそうである。
とある。もちろん、こういう設定がものすごく盛り上がることもあるのだが、盛り上がらないからといって「この学生たちはノリが悪い」というわけではないのだ。私もこの例ではないが、同じタスクで活発に活動できた授業としらけてしまった授業を経験している。
よく、「日本語でさえ意見が書けないのに、まして英語なんて…」と諦めてしまう人がいる。しかし、それは逆で「英語」というフィルターを通すからこそ、書きにくいことも書けてしまうのである。英語なら詩やラブレターも、照れくさいことも平気で書ける。気持ちをオブラートに包むような感覚になるのだろう。
これは、ずっと以前に私が授業でした「ほめる」の時に感じたことと同じで、やはりそうなんだと思った。
しつこく「そうそう」を書いてきたが、この「そうそう」は大事だと思う。よく研究会などで実践報告があると「◯◯の学生だからできること、うちの学生には無理」と言う声が聞かれる。この本は、そういう「うちの学生には無理」という言い訳や諦めをさせないようにできている。
「どんな学生にもできる」という主張は、綿密な段階を追ったタスク(コミュニケーション活動)の計画にある。
いくつか、授業でやってみようと思ったコミュニケーション活動の概要をメモしておきたい。
チェーン・レター(141頁)[意見を書く]
マイクロ・ディベート[意見を話す]
私は実はディベートは好きではないというよくいる人間の一人だった。実際にディベート大会を見たこともあるが、各自が自分の言いたいことを言っているだけで、そこに言葉を通したコミュニケーションがあるように見えず、心地が悪い感じがした。準備の過程などを通して考えれば意味のある活動だと思うのだが、どうにもやってみようという気にはなれなかった。でも、このマイクロ・ディベートは、1対1での意見交換なので、コミュニケーションができるのではないか、やってみたいと思った。
Strategic Interaction[話す]
読んだところの私の理解では、ロールプレイに似ているのだが、異なる点もある。ロールプレイと似ているので、学習者にとっては上級の活動だが、この本では本来の上級向け活動に加え、初級者向けの活動も紹介されている。
元々のStrategic Interaction
代表者がグループに戻って相談したり、代表者を呼び戻すことができる、というのがいいなと思う。
Strategic Interactionの導入活動―第1段階「こんな時あなたならどうする?」
今、新学期の授業でやってみようと計画中。
しつこく「そうそう」を書いてきたが、この「そうそう」は大事だと思う。よく研究会などで実践報告があると「◯◯の学生だからできること、うちの学生には無理」と言う声が聞かれる。この本は、そういう「うちの学生には無理」という言い訳や諦めをさせないようにできている。
「どんな学生にもできる」という主張は、綿密な段階を追ったタスク(コミュニケーション活動)の計画にある。
孤立したコミュニケーション活動をただ単に寄せ集めただけでは、その瞬間は生徒が面白がるかもしれないが、全体として意味有る授業とはならないのだ。(中略)「どこから」「どこへ向かって」「どのようなルートで」の中・長期的見通しの幹があってこそ、個々の活動が意味を持ってくるのである。私なんかは、教科書が予め指定されている授業では、たまに時間に余裕がある時に「時間があるからコミュニケーション活動をやってみようか」という場当たり的なことをよくしてしまっている。反省。
いくつか、授業でやってみようと思ったコミュニケーション活動の概要をメモしておきたい。
チェーン・レター(141頁)[意見を書く]
紙を全員に配り、最初に各自にトピックを選ばせる。
選んだトピックについて自分の意見(考え)とその理由を書かせる。
決められた時間(例えば3分)書いたら、その紙を一斉に次の生徒に渡す。
次の生徒は、その意見に対して自分の率直な意見を書くよう支持する。
これを繰り返し
マイクロ・ディベート[意見を話す]
3人1組になり、同じ論題でYes,No,Judgeをそれぞれ体験する。
10分でワンセット。流れは以下。
1.肯定側立論(1分半)
2.否定側反駁(1分)
3.否定側立論(1分半)
4.肯定側反駁(1分)
5.自由討議(2分)
6.結果発表、振り返り(3分)
この流れで、3ラウンド行う。
マイクロ・ディベートに入る前に論点、肯定・否定、の立論メモを書いておく。対戦直前に立論メモを見せ合うのも有効。そうしないと論点が同じでないと意見が咬み合わなくなることがある。
私は実はディベートは好きではないというよくいる人間の一人だった。実際にディベート大会を見たこともあるが、各自が自分の言いたいことを言っているだけで、そこに言葉を通したコミュニケーションがあるように見えず、心地が悪い感じがした。準備の過程などを通して考えれば意味のある活動だと思うのだが、どうにもやってみようという気にはなれなかった。でも、このマイクロ・ディベートは、1対1での意見交換なので、コミュニケーションができるのではないか、やってみたいと思った。
Strategic Interaction[話す]
読んだところの私の理解では、ロールプレイに似ているのだが、異なる点もある。ロールプレイと似ているので、学習者にとっては上級の活動だが、この本では本来の上級向け活動に加え、初級者向けの活動も紹介されている。
元々のStrategic Interaction
役割Aと役割Bが相互に別々のシナリオを与えられる。
(ロールカードとシナリオという用語の違いはあるが、ここはロールプレイと同じ)
役割Aのシナリオと役割Bのシナリオはすれ違っている。さらに、シナリオは状況を述べるにとどまり、「~しなさい」という指示がない。
(ここがロールプレイと違うところ。)
「相手の出方が予測できない」「状況説明だけで、行動を指示しない」シナリオがStrategic Interactionの特徴。
授業では、グループに分かれて各役割の準備をする(15分)。
1.役割を理解。
2.相手の出方を予測し、交渉プランを目標言語で準備。
3.相手の出方がわからないので、交渉プランは複数のオプションを準備。
4.相手グループと実際にやりとりをする代表者を選出。
グループの代表者各1名が実際に交渉する(5分)
代表者は必要を感じたときにはいつでも交渉を中断して自分のグループに立ち戻り、助言を受けることができる。またグループ員たちも、必要と思う場合にはいつでも代表者を呼び戻して助言を与えることができる。
振り返り活動(10分)
代表者がグループに戻って相談したり、代表者を呼び戻すことができる、というのがいいなと思う。
Strategic Interactionの導入活動―第1段階「こんな時あなたならどうする?」
予期しない他人の出方に、どう対処するかを考えるもの。
場面とそれに応えるセリフが選択式で与えられる。学生は選択肢の中から応答を選ぶ。創作したい学生は自分で考えてもよい。
今、新学期の授業でやってみようと計画中。
2011年8月3日水曜日
[本]会話教材を作る
会話教材を作る (日本語教育叢書 つくる)
尾崎 明人 中井 陽子 椿 由紀子 関 正昭

積極的な回避の例は
積極的な回避の指導は、「自分がわかった範囲のことを相手に伝える」ことだろうか。(約束の際に時間や場所を繰り返して確認することを学生に言ったら「しつこいんじゃないか」という反応が返ってきたことがあったが、これもそう思われるのだろうか。)
「②心の動きを表す活動」は、あまり注意してやっていなかった気がする。Facebookなどのコメントによく使われる感じがするが、意識してやってみたい。
確かに、授業中に意見を言うなどは、共同的フロアーで難しいのだろう。(学生が授業で意見を言うために、というのが、以前、勤務先の会議で話題になった。)その時は、何を言うかという内容に焦点があたっていたような気がするが、フロアーの形態も考慮に入れて、授業設計をしないといけない。
こうやって整理されたのを見ていると、自分がしていることは、偏りがあって、必要なのに取り入れていないものがあることに気付く。全体を通してバランスよくできるように見直したい。
尾崎 明人 中井 陽子 椿 由紀子 関 正昭
タイトル通り、会話教材を作るための理論と実践をまとめたもの。教材例も多数あってわかりやすい。私が役に立つと思ったのは、いくつかの部分での理論的なまとめだ。なんとなく感じていたが整理できていなかったものを整理してまとめて提示してくれている。
以下、自分のための覚書。
この「交流会話」と「交渉会話」、なんとなく2つの違いがあると思っていたが、こうやって名前をつけてもらえるとはっきりしてわかりやすい。「交流会話」は、「導入、展開、終結」ということをあまり意識していなかったので、なるほどと思った。一つの話題を深められない、尋問のように、質問、答えを聞いて、また次の質問、ということがおこりがちでどうにかしたいと思っていたが、やはりここが指導のポイントだったのかと思う。この「導入、展開」については、第3章第2節で、初対面の会話(雑談)での会話展開について、実際の会話と会話参加者へのフォローアップインタビューが掲載されており、面白い。
あまり考えたことはなかったのだが、とても納得。以下、自分のための覚書。
1、交流会話と交渉会話(第1章第1節)
話すことには「独話」と「対話」がある。「対話」は2つのタイプがあり、面接や会議などの談話管理者がいるものと、日常の会話のように談話管理者がいないものがある。この談話管理者がいないものを「会話」と呼ぶ。
「会話」には「交流会話」と「交渉会話」の2つがある。「交流会話」は話すこと自体を目的としてる、いわゆる「雑談」。「交渉会話」は何かの物事を具体的に処理することを目的とする会話。「交流会話」と「交渉会話」は、別々にあるわけではなく、1つの会話の中に両者が含まれることもある。
「交渉会話」はある程度談話の型があるのでその談話展開の型とそれに関わる言語表現を指導する。「交流会話」は、何を話題とし、その話題をどう導入、展開、終結させるかが指導のポイント。
この「交流会話」と「交渉会話」、なんとなく2つの違いがあると思っていたが、こうやって名前をつけてもらえるとはっきりしてわかりやすい。「交流会話」は、「導入、展開、終結」ということをあまり意識していなかったので、なるほどと思った。一つの話題を深められない、尋問のように、質問、答えを聞いて、また次の質問、ということがおこりがちでどうにかしたいと思っていたが、やはりここが指導のポイントだったのかと思う。この「導入、展開」については、第3章第2節で、初対面の会話(雑談)での会話展開について、実際の会話と会話参加者へのフォローアップインタビューが掲載されており、面白い。
2、モデル会話の自然さ(第1章第4節)
モデル会話の自然さには、言葉の自然さと内容・展開の自然さがある。言葉の自然さは、日本人から見て不自然であっても学習者のレベルに応じた「自然さ」で構わない。しかし、内容・展開の不自然さは入門レベルであっても避けることができるし、避けるべき。
3、聞き返し(第2章第3節)聞き返しの種類は、理解はしていたが、それを明確に教材化したことはなかった気がする。また、説明要求型の聞き返しがうまくいかないことは、実際に多く(説明しても余計わからなくなってしまい、お互いに気まずい)
聞き返しには基本的に①反復要求型(もう一度言ってください。)、②説明要求型(~はどういう意味ですか。)、③聞き取り確認型(~と言いましたか。)、④理解確認型(ホッチキスってステープラーのことですか。)の4つに分けられる。
聞き返し回避の方略は消極的回避(分かったふりをする)、積極的回避(分からない語には言及せず、ほかの方法で意味を確認する)に分けられる。
説明要求型の聞き返しには、話の流れを中断してしまったり、聞かれた側の日本人がうまく説明できずに気まずくなることもある。学習者には、理解確認型の聞き返しや聞き返しの積極的な回避を指導する必要がある。
積極的な回避の例は
佐藤:私がそこまで迎えに行きますから、塩釜口の改札口は1か所しかありませんからね。
ファン:はい、分かりました。そこで待っていればいいんですね。
(「迎えに行く」が理解できなかったが待ち合わせの場所で待てばいいことを確認している。)
積極的な回避の指導は、「自分がわかった範囲のことを相手に伝える」ことだろうか。(約束の際に時間や場所を繰り返して確認することを学生に言ったら「しつこいんじゃないか」という反応が返ってきたことがあったが、これもそう思われるのだろうか。)
4、コミュニケーションの機能(第2章第4節)
①事実関係を伝える活動
事実などの情報のやり取り
②心の動きを表す活動
自分の感情や評価を伝える
③相手に働きかける活動
他者に働きかけて行為をさせる、了承を得る
④交流していく活動
おしゃべりなどによって、相手への関心を示す、自分を知ってもらう
⑤メタ言語的な活動
発話している言語自体についての説明、行っているコミュニケーション活動に対する言及
⑥言葉で遊ぶ活動
言葉の響きや美しさ、リズム、繰り返しなどに焦点を当てて楽しむ
6つの機能は相互に絡み合って用いられる。
「②心の動きを表す活動」は、あまり注意してやっていなかった気がする。Facebookなどのコメントによく使われる感じがするが、意識してやってみたい。
5、会話のフロアー(第2章第4節)
会話の空間を参加者たちがどのように共有しているかを捉える概念。
「心理的な時間と空間において何が起こっているかが認識されているもの」
「話題、または、機能(からかいや応答を引き出す等)、あるいは、この2つの混合、を含むもの」
聞き手の参加の度合いにより以下の2つに分かれる
「単独的フロアー」
1人の参加者がフロアーを独占し、他の参加者がそのフロアーに協力している状態
「共同的フロアー」
参加者すべてがそのときに展開している会話に参加し、フロアーを共有している状態
フロアー別の会話練習活動デザイン例
①モノローグによる単独的フロアー →学習者が1人ずつクラスで口頭発表。
②ダイアローグによる単独的フロアー →グループでインタビュー。
③共同的フロアー →ディスカッション
学習者にとって、フロアー参加の難易度に変化を持たせた会話練習活動が必要。
確かに、授業中に意見を言うなどは、共同的フロアーで難しいのだろう。(学生が授業で意見を言うために、というのが、以前、勤務先の会議で話題になった。)その時は、何を言うかという内容に焦点があたっていたような気がするが、フロアーの形態も考慮に入れて、授業設計をしないといけない。
こうやって整理されたのを見ていると、自分がしていることは、偏りがあって、必要なのに取り入れていないものがあることに気付く。全体を通してバランスよくできるように見直したい。
2011年7月21日木曜日
研究会参加メモ 【アニメで日本語】 「第20回小出記念日本語教育研究会」
研究会に行ってからだいぶ日が経ってしまったが、前半の講演に続いて(【学習ゲーム】のエントリー)聞きに行ったパネルディスカッションについてメモしておきたい。
このパネルディスカッション、以前からアニメの活用について発表している矢崎満夫氏の手法「アニメで日本語」を取り入れた日本語学校での実践についてを紹介していた。
ここで語られていた「アニメで日本語」のポイントは、
アニメを学習事項のインプットに使うのではない。
学習事項のインプットに使うとは、例えば、「もののけ姫」の冒頭部分の映像を見て「あ、命令形が多い、これ使えるな」と思ったこととか、アニメではないがドラマで謝罪の例などを取り上げたような使い方だろう。
では、どういう使い方なのかと言うと、
みんなでアニメを見る「共通体験」をもとに、日本語によるコミュニケーション活動を行う。
このコミュニケーション活動については、ティーチング・ストラテジーとして、様々な活動例がある。研究会当日は、このティーチング・ストラテジーがプリントで配布された。(これは、矢崎氏の論文(2009、2010)にも紹介されており、2009の論文はネットで見ることができる。)
アニメを素材とした日本語学習活動『アニメで日本語』の開発―「アニマシオン」のティーチング・ストラテジーに着目して
発表の中で、人気がある活動(ティーチング・ストラテジー)だと言っていたのが「登場人物にインタビュー!」という活動。学生たちが登場人物が記者会見をするという設定にし、学生たちが登場人物役と記者役にわかれて質問のやりとりをする活動である。実際に活動を行っている映像も紹介されたが、登場人物役は、アニメの画像で作ったお面のようなものをつけ、役になりきって質問に答えるというものだ。
私が全体の発表を通して思ったのは、みんなでアニメを見て「共通のネタ」を持つことがポイントなのではないか、ということだ。プリントの中で紹介されていた「あなたはだれ?」という活動(論文では矢崎2010)
これは、アニメを見ないでも、有名人等の写真等を用意して、質問しながら当てるという活動はよくあるものだと思う。しかし、こういう活動で、誰をネタに使おうかと考えた時、みんながよく知っている人をさがすのは案外大変だし、バリエーションが限られてくる。それが、アニメを見た後だとみんなの共通認識ができるのでやりやすくなる。
実際の授業では毎回30分アニメを見て活動をしているということだったが、共通のネタづくりのために、授業時間の30分をさくかどうかというのは、考えがわかれるところだと思うが。
発表の時に、実際に授業を担当した小林氏と村松氏がしきりと「準備が大変だった」と言っていたが、質疑応答で「具体的に何が一番大変だったか」の質問への回答は「例えば、『登場人物にインタビュー!』では、小道具でアニメのキャラクターの正面の顔を大きくしたものを作るが、それを作るのが大変だった」と言っていた。動画の中から、うまく正面を大写しにしているものをさがしだし、それを画像化し、印刷するというのは、確かに地道でてまがかかることだろう。ただ、大変なところがこのような技術的なところであるなら、なんとかなるのではないかとも思えた。(私としては、視聴した部分と活動のマッチングに頭をひねらせる、のような考える部分が大変なのかと予想していた。)
研究会の後の懇親会で、他の先生と話をしていた時に「アニメじゃなくてドラマではだめなのか」という話をした。今考えると、「登場人物にインタビュー」のような架空のことをするのには、現実的に見えるドラマより、アニメのほうが架空の世界に無理なく入っていけるので活動もやりやすいのではないかと思う。
このパネルディスカッション、以前からアニメの活用について発表している矢崎満夫氏の手法「アニメで日本語」を取り入れた日本語学校での実践についてを紹介していた。
ここで語られていた「アニメで日本語」のポイントは、
アニメを学習事項のインプットに使うのではない。
学習事項のインプットに使うとは、例えば、「もののけ姫」の冒頭部分の映像を見て「あ、命令形が多い、これ使えるな」と思ったこととか、アニメではないがドラマで謝罪の例などを取り上げたような使い方だろう。
では、どういう使い方なのかと言うと、
みんなでアニメを見る「共通体験」をもとに、日本語によるコミュニケーション活動を行う。
このコミュニケーション活動については、ティーチング・ストラテジーとして、様々な活動例がある。研究会当日は、このティーチング・ストラテジーがプリントで配布された。(これは、矢崎氏の論文(2009、2010)にも紹介されており、2009の論文はネットで見ることができる。)
アニメを素材とした日本語学習活動『アニメで日本語』の開発―「アニマシオン」のティーチング・ストラテジーに着目して
発表の中で、人気がある活動(ティーチング・ストラテジー)だと言っていたのが「登場人物にインタビュー!」という活動。学生たちが登場人物が記者会見をするという設定にし、学生たちが登場人物役と記者役にわかれて質問のやりとりをする活動である。実際に活動を行っている映像も紹介されたが、登場人物役は、アニメの画像で作ったお面のようなものをつけ、役になりきって質問に答えるというものだ。
私が全体の発表を通して思ったのは、みんなでアニメを見て「共通のネタ」を持つことがポイントなのではないか、ということだ。プリントの中で紹介されていた「あなたはだれ?」という活動(論文では矢崎2010)
教員がある登場人物役になり、カーテン等で顔が見えないようにして生徒の前に立つ。生徒はいろいろな質問をしながら、それがどの登場人物かを当てる。(例:生徒1「何歳ですか?」教師「18歳です。」生徒2「髪の毛の色は何ですか?」教師「白です」生徒3「あなたは○○ですか?」教師「はい、わたしは○○です」)
これは、アニメを見ないでも、有名人等の写真等を用意して、質問しながら当てるという活動はよくあるものだと思う。しかし、こういう活動で、誰をネタに使おうかと考えた時、みんながよく知っている人をさがすのは案外大変だし、バリエーションが限られてくる。それが、アニメを見た後だとみんなの共通認識ができるのでやりやすくなる。
実際の授業では毎回30分アニメを見て活動をしているということだったが、共通のネタづくりのために、授業時間の30分をさくかどうかというのは、考えがわかれるところだと思うが。
発表の時に、実際に授業を担当した小林氏と村松氏がしきりと「準備が大変だった」と言っていたが、質疑応答で「具体的に何が一番大変だったか」の質問への回答は「例えば、『登場人物にインタビュー!』では、小道具でアニメのキャラクターの正面の顔を大きくしたものを作るが、それを作るのが大変だった」と言っていた。動画の中から、うまく正面を大写しにしているものをさがしだし、それを画像化し、印刷するというのは、確かに地道でてまがかかることだろう。ただ、大変なところがこのような技術的なところであるなら、なんとかなるのではないかとも思えた。(私としては、視聴した部分と活動のマッチングに頭をひねらせる、のような考える部分が大変なのかと予想していた。)
研究会の後の懇親会で、他の先生と話をしていた時に「アニメじゃなくてドラマではだめなのか」という話をした。今考えると、「登場人物にインタビュー」のような架空のことをするのには、現実的に見えるドラマより、アニメのほうが架空の世界に無理なく入っていけるので活動もやりやすいのではないかと思う。
2011年7月2日土曜日
研究会参加メモ 【学習ゲーム】 「第20回小出記念日本語教育研究会」
実家の近くの柔道場の外にある掲示板を偶然見て、ちょうど行ける日だったので、行ってみた研究会。
講演① 「伝えるから、伝え合うへ」 池田修先生
元、中学校の国語教師の先生。
「国語科を実技教科にしたい」と考えて、いろいろと取り組まれた実践例を聞くことができた。
印象に残ったことをいくつかメモ。
○「学習ゲーム」とは「ゲームの中に学習すべき項目が含まれるもの」。例えば、サッカーをする時に「二頭筋を鍛えよう、鍛えよう」と思ってサッカーをしているわけではないが、結果としてサッカーをすると二頭筋が鍛えられる。そういうこと。
○学校教育の特質は「集団で学べる」、「継続して学べる」。
集団のほうはよく言われていることだと思うが、継続のほうは、確かにと思った。半年あるいは1年のスパンで考えられる。今回の授業には来たが、次回の授業に来るかどうかわからない、という地球村のような形態とは違うということだ。学校教育の中で、その特質を意識してきちんと利用していきたいと思った。
○学習ゲーム例
・語り絵
これは今日実際にやってみた。二人組になり、一人が絵を3分間見て、それをメモし(絵を描いてはいけない)、絵を見ていないもう一人に説明して、聞いた方は絵を描くというもの。
絵を描くときは、質問してはいけない。また、描いたものを消してはいけない。
「全体から部分へ」伝えるとわかりやすい、という解説があった。
学生たちが書くものを見ると、自分はわかっているからいいが、知らない人はもう少し説明しないとわからないだろう、と思うことがよくある。この活動をすると、「自分は分かるが、見たことのない人は説明しないとわからない」、「最初にそれを言ってくれなきゃわからないよ」という感覚が実感できるとおもう。
・漢字ウォーリーをさがせ
15×15文字、漢字が書いてあって、そのなかで、二文字だけ、他の漢字と違う。その二文字を探す。例えば、「体」の中に「休」があるとか。私が使うのだったら、漢字よりもひらがなウォーリー、カタカナウォーリー、かなウォーリーになるかなと思う。フォントを変えても変化がついて面白いかも。
・諺作り
中学三年生が作った諺を見たが、なかなか面白い。また、作品を見ていると、ベースになっている諺があるもがある。例えば「人の振り見て死ぬほど笑え。」というのを見たときに、「ああ、人のふりみて我が振り直せ…だな」と思うのと思わないのでは、受け取り方も違うと思う。ただ諺を勉強するのではなくて、パロディのようなものを見せてから、もとを見せるというのも面白いかも。
諺については、私も「諺アレンジ」をしてみようと思ったことがあったが、時間がなくて結局できなかった。次回はぜひやりたいなと思う。
講演① 「伝えるから、伝え合うへ」 池田修先生
元、中学校の国語教師の先生。
「国語科を実技教科にしたい」と考えて、いろいろと取り組まれた実践例を聞くことができた。
印象に残ったことをいくつかメモ。
○「学習ゲーム」とは「ゲームの中に学習すべき項目が含まれるもの」。例えば、サッカーをする時に「二頭筋を鍛えよう、鍛えよう」と思ってサッカーをしているわけではないが、結果としてサッカーをすると二頭筋が鍛えられる。そういうこと。
○学校教育の特質は「集団で学べる」、「継続して学べる」。
集団のほうはよく言われていることだと思うが、継続のほうは、確かにと思った。半年あるいは1年のスパンで考えられる。今回の授業には来たが、次回の授業に来るかどうかわからない、という地球村のような形態とは違うということだ。学校教育の中で、その特質を意識してきちんと利用していきたいと思った。
○学習ゲーム例
・語り絵
これは今日実際にやってみた。二人組になり、一人が絵を3分間見て、それをメモし(絵を描いてはいけない)、絵を見ていないもう一人に説明して、聞いた方は絵を描くというもの。
絵を描くときは、質問してはいけない。また、描いたものを消してはいけない。
「全体から部分へ」伝えるとわかりやすい、という解説があった。
学生たちが書くものを見ると、自分はわかっているからいいが、知らない人はもう少し説明しないとわからないだろう、と思うことがよくある。この活動をすると、「自分は分かるが、見たことのない人は説明しないとわからない」、「最初にそれを言ってくれなきゃわからないよ」という感覚が実感できるとおもう。
・漢字ウォーリーをさがせ
15×15文字、漢字が書いてあって、そのなかで、二文字だけ、他の漢字と違う。その二文字を探す。例えば、「体」の中に「休」があるとか。私が使うのだったら、漢字よりもひらがなウォーリー、カタカナウォーリー、かなウォーリーになるかなと思う。フォントを変えても変化がついて面白いかも。
・諺作り
中学三年生が作った諺を見たが、なかなか面白い。また、作品を見ていると、ベースになっている諺があるもがある。例えば「人の振り見て死ぬほど笑え。」というのを見たときに、「ああ、人のふりみて我が振り直せ…だな」と思うのと思わないのでは、受け取り方も違うと思う。ただ諺を勉強するのではなくて、パロディのようなものを見せてから、もとを見せるというのも面白いかも。
諺については、私も「諺アレンジ」をしてみようと思ったことがあったが、時間がなくて結局できなかった。次回はぜひやりたいなと思う。
2010年5月5日水曜日
私に覚えてほしかったら自分の名前を書け
K先生の研究室で暇だったので、本棚にあった本を拝借し「サヨナラ、学校化社会」を読んでいた。その中にあった一節「私に覚えてほしかったら自分の名前を書け」。
なるほど。これは、いい!!と思った。来年の2年生でやってみようか。
大学は、「出なくて単位とるのも芸のうち」だから出席は取らないが、その替りに評価カードのようなものを作って、授業のフィードバックをもらう。それは、評価の対象にはしないし、批判したかったら匿名でも構わない。そして、標題の言葉になる、という流れ。
なるほど。これは、いい!!と思った。来年の2年生でやってみようか。
2009年6月5日金曜日
多読
2月に日本語の多読研究会に参加してから、英語の多読をしている。(自分で)元々は、学生にやらせる前に自分で体験してみようと思ったものだが、やはり、自分でやると気がつくことが多い。(私の個人的なことも多々あるかも知れないが。)
一番感じたことが、「速さが大事」ということだ。「快適な速さで読む」のが、何というかポイントだと感じた。だから、あまり難しすぎるものは読まないし、つまらないものも読まないし、分からない言葉は辞書でさがしたりしないし、考えたりもしない。
本の見た目も大事。文字が大きかったり、行間が広いと読みやすく感じる。
挿絵も大事。研究会のときにも言われたが、挿絵が理解の助けになる。多読テキストでは、理解の助けになるように絵に気を配っているらしい。
言われている「読みやすさ(YL)レベル」と自分が感じる読みやすさがだいぶ違う。ああ、こういうこともあるだろうな、と思う一方、不安な学習者になると、「ちゃんとできてるのかな」と不安になる。
自分で達成度を感じるということについては、まず、「100万語達成」というとってもわかりやすい目標があるというのが、シンプルでよいと思う。それと、途中で速さをはかってレベルチェックができるのもよい。
自分で感じた「進歩」。なぜか、初期の頃に感じたのだが、グーグルで検索するときに綴りを間違えることが少なくなった。それと、以前はとっても 自信なく入力していたのが、「これでしょ!」という感じで入力できるようになった。あと、最近思うのが、小さい字で文字がいっぱいなのも読めるようになっ た。最初はJunie.B.だったのに。
土日のクラスでは、日本語で少し、多読のまねごとをやってもらっている。みんな楽しそうに読んでくれているので、こっちも嬉しい。今ひとつ、 初級の簡単な本が少ないのが難点。難しいのが読める人は簡単なのも読めるけれど、簡単なのしか読めない人は読める本が少なくなってしまう。自分で作成もし てみたが、やはりつめが甘い。今のところはこんな感じ。
一番感じたことが、「速さが大事」ということだ。「快適な速さで読む」のが、何というかポイントだと感じた。だから、あまり難しすぎるものは読まないし、つまらないものも読まないし、分からない言葉は辞書でさがしたりしないし、考えたりもしない。
本の見た目も大事。文字が大きかったり、行間が広いと読みやすく感じる。
挿絵も大事。研究会のときにも言われたが、挿絵が理解の助けになる。多読テキストでは、理解の助けになるように絵に気を配っているらしい。
言われている「読みやすさ(YL)レベル」と自分が感じる読みやすさがだいぶ違う。ああ、こういうこともあるだろうな、と思う一方、不安な学習者になると、「ちゃんとできてるのかな」と不安になる。
自分で達成度を感じるということについては、まず、「100万語達成」というとってもわかりやすい目標があるというのが、シンプルでよいと思う。それと、途中で速さをはかってレベルチェックができるのもよい。
自分で感じた「進歩」。なぜか、初期の頃に感じたのだが、グーグルで検索するときに綴りを間違えることが少なくなった。それと、以前はとっても 自信なく入力していたのが、「これでしょ!」という感じで入力できるようになった。あと、最近思うのが、小さい字で文字がいっぱいなのも読めるようになっ た。最初はJunie.B.だったのに。
土日のクラスでは、日本語で少し、多読のまねごとをやってもらっている。みんな楽しそうに読んでくれているので、こっちも嬉しい。今ひとつ、 初級の簡単な本が少ないのが難点。難しいのが読める人は簡単なのも読めるけれど、簡単なのしか読めない人は読める本が少なくなってしまう。自分で作成もし てみたが、やはりつめが甘い。今のところはこんな感じ。
2008年5月21日水曜日
通識日本語
「コンピュータが支援する日本語の学習と教育」を読み返していて、聴解教材の「私の年中行事」というのがあった。これ自身はもちろん使えないが、表に なっているのを見ると、1か月に3つ年中行事のトピックがあるので、このトピックを利用して、写真や絵などで、紹介する、というのができないかなあと思っ た。
うーん、相変わらず、何を目標にするのかはわからないが。
うーん、相変わらず、何を目標にするのかはわからないが。
2008年5月18日日曜日
PCでフラッシュカード
むらログでDSのひらがな教材を紹介していて、動きがあるので文字を提示したほうが、動きがないものよりよっぽど面白い、ということが書いてあった。じゃ あ、フラッシュカードをPCで作って提示したらどうかなと思って、調べてみたら、フラッパというものをダウンロードすると、どうやら、パワポがランダムに 表示されるらしい。あとは、パワポでどうやって、動きのある五十音を作れるか、ということか。要研究。
2008年5月14日水曜日
4年作文(第2年度)
突然(全体会議中に)思い立った。来年度の作文クラスで、パンフレットなどを作ってみてはどうかと。レストランのメニュー、旅行のパンフレット、商品紹介のパンフレット、等。
レストランのメニューは、来年小山台が来るために、行くところのメニューではどうか…。みんなで同じレストランのものを、見た目を変えて、作ってみる。実際に使ってもらって、見栄えとかどうかっていうのを見るのはどうかなあ。
旅行は、3年の作文で紹介をやったので、それにプラスする感じでどうかと。今、ネットで調べてみたら、電子パンフレットとか、デジタルパンフレッ トとか、がネット上にある。ただでもらえるパンフレットそのまま。JTBのサイトはいくつか台湾ものがあったが、他では台湾ものが見あたらない。まあ、も う少し根気よくさがしてみよう。
商品紹介が最後か。翻訳すればいいというものではないことをうまく伝えて、それで最後に一つの商品の紹介パンフレットができればなあと思う。
あとは、メールをうまく使えるように。やりとりはメールで行うことにし、必ず、日本語が使えるアドレスを取得。(台湾ヤフーは不可)私に宿題を送るときや、休んだときなど、必ず連絡するようにする。そのためのメールの書き方などを、例文集を作っておく。
ってな感じでしょうか。
レストランのメニューは、来年小山台が来るために、行くところのメニューではどうか…。みんなで同じレストランのものを、見た目を変えて、作ってみる。実際に使ってもらって、見栄えとかどうかっていうのを見るのはどうかなあ。
旅行は、3年の作文で紹介をやったので、それにプラスする感じでどうかと。今、ネットで調べてみたら、電子パンフレットとか、デジタルパンフレッ トとか、がネット上にある。ただでもらえるパンフレットそのまま。JTBのサイトはいくつか台湾ものがあったが、他では台湾ものが見あたらない。まあ、も う少し根気よくさがしてみよう。
商品紹介が最後か。翻訳すればいいというものではないことをうまく伝えて、それで最後に一つの商品の紹介パンフレットができればなあと思う。
あとは、メールをうまく使えるように。やりとりはメールで行うことにし、必ず、日本語が使えるアドレスを取得。(台湾ヤフーは不可)私に宿題を送るときや、休んだときなど、必ず連絡するようにする。そのためのメールの書き方などを、例文集を作っておく。
ってな感じでしょうか。
2008年5月8日木曜日
2008年5月7日水曜日
東海2年会話
来年度の東海の2年の会話の授業をどうしようかと考えている。柱は、機能的なことができて目的を達成する、ということと、まとまった話ができる、という ことの二つかな。まとまった話では、1.友だちインタビュー(何か、その人のテーマを決めて、その人の人となりがわかるような、インタビュー映像を作る) 2.何かのやり方を説明する(PCでのお絵かきのしかたとか、知られていないスポーツとか、…) 3.プレゼンテーションをする(呉鳳でやったグラフを 使っての説明は私には面白かった。こういうもので、何かできないか) 4.映画やドラマのストーリーを説明する(ネット上で、いくつかオフィシャルな説明 とか、ブログでの個人的な説明とかがあるが、それを比較して、話し方とか、個人的に話す話し方を見つけられれば…) 5.意見を表明し、それに対しての意 見を言う(事前の準備とその場での対応ということなのだが…)
できれば、それぞれに聴解練習をつけたい。
あと、聴解練習も組み込まなければいけない。今のところ、2級の聴解練習を自宅学習用にしようと思っている。(大新にテキストのサンプルを送ってもらっている。)3級も必要あるかもしれないが。
ああ、まだまだ案が足りない。授業計画を書かなければいけないのだけど…
できれば、それぞれに聴解練習をつけたい。
あと、聴解練習も組み込まなければいけない。今のところ、2級の聴解練習を自宅学習用にしようと思っている。(大新にテキストのサンプルを送ってもらっている。)3級も必要あるかもしれないが。
ああ、まだまだ案が足りない。授業計画を書かなければいけないのだけど…
2008年1月27日日曜日
レポートのきまり
今日、以前の書類の整理をしていて、「日劇」のレポートを発見。あの時は、レポートが出てきて「ああ、失敗」と思ったよなと思って。今後、似たようなレポートを出してもらうときのために、メモ。
まず、枚数や字の大きさ、色を指定。それによって量を調節すること。何でもいいというと、大量のコピペレポートに出会うことになる。
すべてにおいて、コピペが必ずあると予測すること。コピペをしていい範囲としてよくない範囲を明示すること。
できれば、レポートだから、という形式ではなくて、例えば、みんなで情報を共有しあうような、友だちに教えてあげましょう、というような、レポー トがいいかも。そして、そういう形式もコピペがあるので、それは不可ということ。(私が「コピペの嵐は見たくない」と言えば、理由になるか。感想にして も、同じようでも、別の人が少し別の語り口で語れば、いいと思う。)
来学期も「日劇」の授業があるので、今回は失敗しないように、最初から、授業計画、テスト計画、レポート計画をたてておこう。
まず、枚数や字の大きさ、色を指定。それによって量を調節すること。何でもいいというと、大量のコピペレポートに出会うことになる。
すべてにおいて、コピペが必ずあると予測すること。コピペをしていい範囲としてよくない範囲を明示すること。
できれば、レポートだから、という形式ではなくて、例えば、みんなで情報を共有しあうような、友だちに教えてあげましょう、というような、レポー トがいいかも。そして、そういう形式もコピペがあるので、それは不可ということ。(私が「コピペの嵐は見たくない」と言えば、理由になるか。感想にして も、同じようでも、別の人が少し別の語り口で語れば、いいと思う。)
来学期も「日劇」の授業があるので、今回は失敗しないように、最初から、授業計画、テスト計画、レポート計画をたてておこう。
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