2013年1月31日木曜日

【映画】エンロン

 「エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか?」というドキュメンタリー映画を見た。中文版だったのでよくわかっていないところもあると思うが、わからないのは言語の問題でもないんじゃないかとも思う。見て思ったこと、見て疑問に思ったことを調べたこと等。

 エンロンについてはあまり多くを知らなかった。電力会社で、会計の不正が元で倒産した会社、電力自由化の議論で出てくる会社、というイメージだ。
 この映画を見てわかったことは、エンロンが儲けていたのは、電力を直接売るのではなく、エネルギーを取引にしてその取引で儲けていたということ。また、大統領のブッシュファミリーとつながりが大きいこと。カリフォルニアでは、停電になって電力価格があがり、そうするとエンロンが儲かるという図式になったこと。全体としてのストーリーは、エンロンが詐欺まがいの行為をしてお金を儲けていた/経営陣は強欲で金儲けにしか興味がなかった/CFOは会社が危ないとわかると逃げ出し、何も知らされない社員は会社の破綻と同時に自分の年金などすべてを失った…という感じに写った。
 このエンロン事件を見て、ライブドア事件を思い出した。なんとなく似ているなと思ったのだ。(ライブドアは結局会社自体は残ったが…。)何が似ているかというと、粉飾決算をしていたことと、監査担当の会社が当時の優良会計会社で粉飾決算にそこも関与していたことだ。また、負債を隠すために、架空の会社を作り、金の流れが入り組んでいて(映画の中で解説があったのだが、よくわからなかった。ライブドア事件みたいなもんだろうな、と理解した)私のようなものには理解不能な図ができていたこともある。でも、これは粉飾決算が問題になればどこも同じなのかもしれない。でもライブドアはどちらかと言うと、政治的、社会的に力をもっていなかったからあっさりと葬り去られてしまったイメージがあるが、エンロンは政治家としっかりパイプを作っていたので、そこは全然違うようにも見える。

 いくつか疑問に思ったのは、なぜカリフォルニアなんだろうとか、結局ブッシュファミリーの関わりはなんだろうとかだ。ここら辺のことは、今更疑問に思うことでもないので深くは語られないのかなと思い、ネットで調べてみた。「エンロンが仕掛けた「自由化」という名の金権政治」「底なしの米企業犯罪 エンロン、ワールドコム、ゼロックス… グローバリズムの基盤揺るがす」などを読んでいくつかの疑問が解けた。
カリフォルニア州では開発コストがかかるエコエネルギーの普及に力を入れたことなどから電力料金が全米屈指の高さになっていたため、1996年に電力売買の自由化によって料金を下げようとする政策が始まった。(①)
カリフォルニアの停電(電力危機)については、同じ田中宇が書いた別記事(カリフォルニア電力危機を考える)に詳しいが、価格を下げようと自由化に踏み切った結果、電力不足の懸念から発電所が電力を売り渋ったり、電力取引の影響で価格は上昇した。
カリフォルニア州知事は、ブッシュ新政権に対し、連邦政府がエンロンなど売電会社に命令し、高くない値段でカリフォルニアに電力を供給させてほしい、と要請した。だが新任のブッシュ大統領は「自由市場の原則を曲げる政策をとるわけにはいかない」という立場をとり、救いの手を差し伸べなかった。(①)
この場面はそのまま映画の中に登場していた。
ブッシュ政権や共和党を中心とする議員は、エンロンから多額の政治献金を受け取った。彼らは、エンロンがカリフォルニア州で電力の「売り惜しみ」を行ったことで起こった電力危機(2001年年頭)の際に、1部に起こった規制強化案を葬った。(②)
そうとははっきり書いていないが、エンロンに有利にことを進めたと読める。

 元々、私は「電力会社はどうやって儲けるのか」に疑問をもっていた。企業は自社の製品を売って金を儲けるのが目的だ。電力会社は電力を売っている会社。でも、「節電しましょう」というCMも流している。自社の製品をあまり買わないでね、と言っているのだから、何か矛盾を感じる。(もちろん、節電PRが悪いという意味ではない)もうひとつ、電力会社の株配当は他の会社に比べ比較的高い。配当が高いのは、それだけ利益が出ているということだ。???どうなっているんだろう?というのが日頃からの疑問だった。
 ネットでにわか勉強をしたが、実はまだよくわからない。わからないけれど乱暴に思ったことを書いてしまうと、結局、「電力を売る」ことは、儲からないものなのだと思う。日本の原発問題の後でも電力自由化の話はたびたび出てくるが、なぜ自由化するのか。自由化すると企業が参入するのだが、儲からないものに企業が参入するとは思えない。
 日本で大学の制度を改革し、株式会社の大学を作れるようにしたが、参入数は多くないし潰れた大学もある。大学(制度上の学校はすべてだと思うが)は儲からないのだと思う。何か他のもので読んでうろ覚えだが、アメリカの有名大学も、収入の頼りは多額の寄付や土地収入で、本業の教育・研究ではないらしい。
電力(エネルギー全般かもしれないが)も、儲からないのであれば、そこに企業が入ることはない。もし入るとすれば、本業以外に何か「うまみ」があるからだ。本業以外の「うまみ」は、なんとなくあやしい感じがする。

2013年1月25日金曜日

テレビの海外ドラマ・映画 字幕と吹替え

 台湾に来て驚いたこと-映画が吹き替えではなく字幕。
(私の心の声:えー!そうですか。そこに驚くほうが驚きです!)

先日、会話クラスの発表で上記のことを聞いて、本当にびっくりした。それと同時に、もうかなり昔に書きかけた内容で、形にならずそのままほっておいたこの記事のことも思い出した。

 会話クラスの発表は「日本人にインタビューした内容」というとてもアバウトなテーマだった。この課題の設定は、インタビュー主旨を説明し、アポを取り、それなりに内容のある会話展開をさせて相手のことを知り、それをストーリーにまとめて発表するというものなので、何を話すかというのは、学生に任せてある。だいたい、インタビュー相手は、台湾留学している日本人学生が多いこともあって、台湾に来て驚いたこと(台湾と日本との違い)のような内容になる。そして、上記の発言があったらしい。学生にとってはかなり驚きだったようで、発表では日本の映画予告編吹き替え版も見せて、みんなで「へーーん!」と大合唱。そして学生は、日本の映画館では全て映画が吹き替えで放映されていると誤解した人がたくさんいる模様。いやー違うと思いますけど…、でもそういえば、最近、メジャーな外国映画を映画館で見ていないからよくわかんないな…と思った私。
 でも、2年以上前にこの記事を書こうとして調べた時に、日本映画の吹き替えが増えているということは、知った。
 さて、この「テレビの海外ドラマ・映画 字幕と吹替え」だが、きっかけは「日本のテレビの外国映画は、どうして吹き替えばっかりで字幕がほとんどないの?」と友人に聞かれたことだった。この時は、 「以前は、字幕作るのが大変だったからなんじゃないかなあ。それで、その時のやり方がそのまま続けられているとか。」なんて、適当な答えをしてしまった。なんとなく興味を覚えたので調べてみたら、私の答えは本当に適当なものだったことがわかった。

ここで調べてたどりついたのが日経の記事。
吹き替え映画なぜ増加? 「超日本語吹替版」も登場 これを読んで、なるほどな、と思った吹き替え版増加の原因。
①吹き替えだと内容の9割が伝えられる。字幕だと3割が精一杯。
②場面展開が早い映画が増えてきて、字幕を目で追うと映像を見逃す。
③複数のスクリーンを持つ映画館が増えたので、字幕版と吹き替え版と両方を放映できる。
④3D映画だと字幕が見づらい。
 この記事は2010年のものだが、記事の中には「(2009年には)全配給に占める吹き替えのある映画の割合は12%から32%に上がった」とあるので、やはり、学生が誤解したような、全ての映画が吹き替え版だということは、今でもないと思うのだが…。
 台湾での事情と違うのは、この①吹き替えだと内容の9割が伝えられる。字幕だと3割が精一杯。の部分だろう。中国語の場合、日本語より字数が少なく多くの内容が伝えられる。日本語と比較して半分強の文字数ぐらいだろうか。
 テレビだと、映画館のスクリーンに比べてさらに画面が小さくなるし、そこに文字が入ると追うのが大変だから、というのが、日本のテレビで吹き替えが多い理由なのだろう。

 映画館の字幕でもうひとつ思い出したのが、以前スイスにいた時のこと。スイスではどちらかと言えば、吹き替え版の方が多かった。私の住んでいたフランス語圏では、フランス語バージョンとオリジナルバージョンとがあって、フランス語がわからない私は、オリジナルバージョンを見に行っていた。確かその時の記憶では、オリジナルを見に行く方が選択肢が少なかったように思う。また、字幕は、フランス語とドイツ語の両方があったように記憶している。フランス語もドイツ語も、日本語以上に文字数が多くなるので、日本語よりもさらに見づらいからなのではないかと思う。字幕画面も、日本語の場合は、文字数が少なく余白があるが、独仏の字幕は、画面の一番下に幅いっぱいに字幕が広がっていた。

 上記新聞記事の②場面展開が早い、④3Dだと字幕が見づらいであるが、これは、台湾でも同じになるはずである。場面展開が早いについては、このことを学生に話したところ、あまり納得してもらえなかった。3Dはどうなんだろう?台湾で3D映画を見に行ったことがないので、今度見に行ってみようかと思う。


2013年1月19日土曜日

面接はスーツで臨もう

 卒業生と久しぶりに会った。「日系企業に就職したんです!」と嬉しい報告。聞きたい気持ちがむくむく湧いてきて、面接のことや仕事のことなどを根掘り葉掘り聞いた。今日、聞いた話。
 募集を見たのはネットの仕事紹介サイト(人力銀行)だった。1年以上の経験者募集と書いてあったが、ダメ元で応募。面接の練習にでもなれば、という気軽な気持ちで臨んだ。それでも、先輩に面接での心得を聞き、履歴書や自己PRの日本語版中国語版を用意し面接に行った。
面接には5人来ていたんですよ。でも、スーツを着ていたのは僕だけでした。
隣の応募者と話したが、彼のほうが明らかに日本語が上手だと思ったとのこと。でも採用されたのは、自分だった。
自分でもびっくりです。
面接で日本語で聞かれたのは、どんな食べ物が好きか?どこに住んでいるか?など。え?それ仕事と関係あるの?と本人は思った。まあ、これは、内容よりも日本語力を見ていたんだろうと私は思った。
両親もそう言っていました。
中国語の質問内容のほうが答えるのが難しく、例えば「3か月過ぎたら給料があがるけれども、どれぐらいあがると思う?」と聞かれたそうだ。「結構大事な仕事だけれど、自分にできると思う?」と聞かれ、内心は「いやあ、初めてだからそんな自信は…」と思っていたが、それは面接。「やります!」と答えた。

 タイトルの「面接はスーツで臨もう」だが、それは、たぶん、この卒業生が採用されたのは「スーツで面接に臨んだ」ことがポイントの一つだったのではないかと思ったからだ。実際、面接当日スーツを着ていると、お父さんから「そこまで正式な格好をしなくてもいいんじゃないの」みたいなことを言われたらしい。でも、本人は「いや、相手はやっぱり日本の企業だからスーツのほうがいいだろう」と思って、スーツを着て行ったそうだ。こういうところ、「お!わかってるじゃん」みたいに思われたのではないかなあと思う。
 日本語で書いた自己PRは、自分ですべて書き、ネットなどは参考にしなかった。
間違えていたとしても、それをそのまま見てもらったほうがいいですから。僕の能力の程度を相手にわかってもらったほうがいいし。
いいね、そういう感じ。

 仕事を始めたのはこの月曜日から。
今はまだ勉強しているだけで、なんにも役に立っていないんですよ。
とこれまた、謙虚な発言。彼が見せてくれたメモ帳には、仕事用語がずらりと並んでいた。
前に先生に自己PRの書き方をだめだと言われたから、今回は、今まで通訳したことなどをたくさん書きました。
そういえば、以前会った時には、「仕事紹介サイトに登録したけれど、全然面接の話が来ない」とぼやいていた。自己PRに何を書いたかと聞いたら、家族のことや経験はないけれど頑張りますみたいなことを書いたと言っていて「何書いてんのあんた!!」ぐらいの勢いでダメだしをしたことがある。そんなことがあったことも忘れてしまうぐらい、今日会った卒業生の彼は、立派なオトナになっていた。私が言ったことが少しは役に立ったのかな、と思ってこちらも嬉しかった。
この他にもいろいろな話を聞いたが、何を聞いても、いやあ、大人になったなあ、と感じた。
卒業生:今日は、たくさんほめてくれるけど…
私:いや、ほんとに心の底からすごいなと思ってるよ。
卒業生:ほんとに心の底?心の横とかじゃないの?
まあね、大学ではちゃかしてほめることも多かったけれど、今日のは、本当に心の底の言葉です。人の成長を見た!という嬉しい日でした。

デートでは割り勘にするか

 先週会話授業のテスト(1対1の面接方式)をしたのだが、その中で上記のことを聞いた。
 簡単な意見を言う題材を教材に入れようということで、上記を含むいくつかを授業の中で行ったのだが、授業の中では「割り勘」意見が大半で、あまり面白い意見が聞けなかった。しかし、テストで一人一人に聞いてみると、少し様子が違った。
 元々、「デートの時にお金使ったことな~い。女の子がデートでお金払うなんて信じられな~い」という学生や、「デートはやっぱり男が支払うべきでしょう。そこは、僕、台湾男子なんですよ。」という両親台湾人、日本生まれ日本育ちの男の子の発言を聞いていて、仰天しながらも、どうなんだろう?と興味津々に思っていた。
 まあ、日本でも「デート代は男性払い」という感覚はなくはないのだろうが、でも、ここは台湾。「日本は男女不平等が多いけど、台湾は平等!」と話す学生が多い。真偽はともかく、男女は平等、でもデート代は男性が払うもの、というのは、なんでしょ?と思ってしまう。
 さて、結果。の前に、大前提として、ここで選択肢としてあるのは、「男性がすべて支払う」か「割り勘にするか」。いや女性がすべて支払うのが筋でしょう、なんていう選択肢はない。一応、授業の時に確認してみたが、みんな笑いながら「ないない」とのこと。私もそんな考えは毛頭ないのだが…。
 クラスに男子学生は少ないが、その少ない男性の意見。割り勘意見もあったが、「私が払う」「一般論として割り勘でもいいが、自分は払う」という意見も。
 女子学生の意見。みんな「割り勘がいいと思います」。そこで突っ込んで「相手がどうしても払うと言ったらどうする?」というと、「次は私が払うからと言ってとりあえず払ってもらう」「何かお返しにプレゼントする」という「とりあえず受け入れる」意見が大半。そこをもう1回突っ込むと(私もしつこい)、しょうがないから受け入れるという「男性払ってもいいんじゃないの。そんなに言うなら」という派と、「お金を払うデートはしないと主張する」という受け入れられない派に分かれる。そしてどちらかと言うとそんなに言うなら…派が多いかなと思った。

 少ない意見から乱暴に結論を出してしまうが、「一般論として割り勘でもいいが、自分は払う」というのが、台湾男子がデート代を支払うという意見の大半なのではないかと思った。(クラスの中で割り勘主張が多かったのは実際こういうことだろう)そしてそれは、「そんなに言うなら…派」の声を聞き、「割り勘と言っている人も、実はそう思っていないのでは…」という危惧から来るのだと思う。実際、はっきりそう言った学生もいた。(割り勘でいいと言っているけれど、本当にそうしたらケチなやつと思われる…)なんかわかるなあ、その感覚。
 「それが男子のプライド」「払わないのは、『あんたには私が金を払う価値がない』と思っていると思われるのでは」という、少々過激発言もあった。

 私がわからなかったのは、女子学生の複数意見で「全部払ってもらうと分かれる時に困る」というもの。え?なんで?分かれたいけど、相手がこんなにしてくれたんだし…と分かれにくくなるからなのだろうか。突っ込んで聞いてみたのだけれど、説明の難易度が高かったのか、あまりわかりやすい回答は得られなかった。

 最後に付け加えておくが、今回聞いた学生たちは「恋愛経験がないんですけれど…」という学生が多かったので、実際にどう行動するかはわからない。それに、こういう一般論的な感覚が判断材料になるのは、たぶんデート初期なのだろうから、実際にデートを何回もすれば割り勘に移行することもあるだろうな、と思う。いずれにしても男子学生大変ですね、というのが私の全体の感想だ。

 一人現在つきあっている人がいるという学生の話。デート代は割り勘だという。「最初のデートはどうだったの?」と聞くと、「私たちは高校のクラスメートで、最初のデートは学校の図書館だったから…」と、なんともほのぼのした回答が返ってきた。