2012年7月24日火曜日

学生が語る台湾の「言語生活」

ずいぶん前のことになってしまったが、私が担当している授業の先学期の中間レポートで、各自の言語生活を書いてもらった。この意図としては、普段無意識に行なっている言語行動について、少し意識を持ってみてもらうという狙いがある。
「言語生活を書いてもらう」をもう少し説明すると、普段どんな人とどんな言葉で話しているかや、どんな状況でどんな言葉遣いをするか、また、言語を使っている時の気持ちなどである。日本語学習中であるので、学んでいる言語をどう使っているか、学習しているかということも関わってくる。
私自身、台湾に来るまでそのような意識はあまりなかったが(知る機会はあったにもかかわらず)、台湾は多言語社会である。公用的に使われている「國語(中国語)」以外にも、「台語(台湾語)」は私もごく日常的に触れる。その他「客家語」や、諸言語がある。テレビも、ほぼ吹き替えの日本と比べると、映画も音声がオリジナルで字幕つき、というのがかなりあるので、他の言語に触れる機会も多い。そんな生活の中での、学生一人一人の言語生活である。
このレポート、昨年も同じ授業で同じ課題で出してもらったが、読んでいて面白いと思うものも結構ある。メモの意味も含め、少しまとめ。

台湾語について
・怒った時に話す。あるいは、冗談とか。
・親切感、感情を表現しやすい。相手との距離感を縮める。
・台湾語ができない人。みんなに笑われて使うのをやめたという人がよくいる。(台湾語を使わない状況にあった人にとっては大学が大きな境目かも。)
・親が台湾語を話すなと言った。なぜなら台湾語を話すようになると、中国語が「台湾国語」になるから。
・先生と話すとき、台湾語だと失礼な感じがする。
・年配の人とは台湾語で話す。年配の人は若い人が台湾語を話すと喜ぶ。
・おじいちゃんが中文が話せるけど、そのおじいちゃんは、「台湾人が台湾語を話せなくて恥ずかしくないのか!」という。
・小さい頃おじいちゃんおばあちゃんに育てられてできた人(でもできなくなった人)、逆に大きくなってから使うようになった人、など、状況に違いがある。

その他
・相手の年齢によって話す言語を判断する。
・相手が言った言語に合わせる。
・客家語の家庭の人がいるが(今年は結構多い気がする)、話せる人も、聞くのはわかる人も、あまりできない人もいる。できない人は後悔している人もいる。

日本語
・TAは笑わないで親切に教えてくれる。
・感嘆詞「しんどいなあ」とか「うるさいなあ」とか日本語で言う。
・アメーバピグをやっている人が何人かいた。最初はpiggと書いてあったからわからなかったけど、検索したら出てきた。他の学校でもやっている人がいた。結構やってるのね。(NHKの、芸能人が職場体験する番組で多少の知識があった。よかった)

英語
・ネットのチャットで英語についていけなくて(相手の速度が早いのとネット上の用語がわからなかった)、相手にチャットの「コラム?」を閉じられた。そんな経験を何度かしたあと、英語のタイピングの練習をし、ネット用語をネットで調べ、話ができるようになった。




2012年7月16日月曜日

理科教育がなぜ盛り上がらない??

原発事故があって、私は理科教育が盛り上がると思っていた。英語では高校や中学の英語の復習本が売られているが、そういうものが理科の分野でも出るのではないか、出たら読みたいなと思っていた。でも、そんなことは起こらなかった。なぜなんだろう?(唯一「リケジョ」という言葉がでてきたぐらいか。)
 私は高校三年の時に「理科Ⅱ」の授業で、原子爆弾の原理を習った。当時、私の学校の「理科Ⅱ」の授業は、担当教師が好きなことをやっていて、同じ学年でもクラスが違えば全く違う内容を勉強していた。私のクラスの「理科Ⅱ」は、かなり不評で隣のクラスが化学の実験を楽しくしているのを見てうらやましいと言っていた人も多かった。でも、私はこの授業がとても好きだった。原子爆弾と、それよりも威力がはるかに大きい水素爆弾のメカニズムを式を書いて説明してくれた。なるほど、と思った。今、じゃあ説明してみて、と言われても私にはできないが(先生、すみません)、あの時学んだことは無駄ではないと思う。よくよく考えれば理解ができる、という経験ができたことが大きい。原発事故報道を見て、「難しい。理解ができない。」と思った人は多いと思うが、私はその高校の体験があるので「ある程度は理解できる教育を受けてきたはず」という思いがあった。高校までに勉強したことですべてが理解できるとも思わないが、勉強したことを土台にして何か資料を読んだりすれば、ある程度は理解できる、理解するためには自分で学ばなければと思った。
 いわゆる理系科目は、難しく敬遠されがちだ。少なくとも私はそんなに積極的に自分で学ぼうとは思わなかった。でも原発事故報道を見て、理科教育はこういうことを理解する基礎のために必要だったんだ、と実感した。そして、それこそ生活に密着し命に関わることが起きたので、理科教育の重要性が叫ばれるようになるのではないかと考えた。だから、理科教育が盛り上がると思っていたのだ。
 私がなんとなく嫌だなと思うのは、とかく理科的なこと(アバウトな書き方だが)だと、「わからない」と簡単に言ってしまえることだ。「そうだよね。難しいよね。」と言って調べもせず、知ろうともしない。そういう姿勢が多いように感じる。例えば、私が高校の頃世界史は必修ではなかったが、今の世の中で高校で習う程度の世界史知識について「知らないよね。わからないよね。」と大手を振って言えるだろうか。言える人もいるかもしれないが、理系科目の「知らないよね。わからないよね。」よりも、多くないと思う。どちらかと言えば、知らないことを勉強不足と思うほうが多いのではないだろうか。
 私が一番最初にこのこと-わからないと大手を振って言ってしまえる-を感じたのは、311の地震後に、Ustreamで原発事故関係の記者会見を見ていた時だ。保安院だったか東電だったかは忘れたが、技術者の人が説明をしていたように思う。その記者会見である記者が「小学3年生にわかるように説明してください」と、怒ったような口調で言った。それを聞いて私はハア???と、逆に怒りを感じた。怒りの内容は色々あるのだが、一番は自分の勉強不足を棚に上げて、相手に「説明しろ」と迫った態度である。こんな発言が通ってしまうのは何かおかしい。日本の義務教育は中学校まであるし、今は大部分の人が高校に行く時代である。学校教育の目的の一つは、オカミの言うことを効率的に理解してもらう基礎を作ることのはずだ。なぜ小学校3年生にわかるように説明しなければいけないのか理解に苦しむ。
今こんなことを書くのは、「ヒッグス粒子のニュースを聞いてウキウキしちゃった!」と笑顔で言ったAちゃんについ最近会ったからだ。Aちゃんは大学で物理専攻の、今だったら「リケジョ」と言われるであろう人だ。「あのニュース見てウキウキする人ってやっぱり少ないのかなあ」などと言いながら、ニュースを見て気になった部分を調べたことや、そこから発展して現在の物理学について知ったことを楽しそうに語ってくれた。その時に二人で意見があったのが、今は、情報は色々あるけれど、情報が多すぎて逆に知識がないとその情報に到達できない。だから、やはり基礎知識の学習はとても重要だということ。そして、Aちゃんに今回の原発事故や原発のメカニズムを理解するために参考になる本を選んでもらって買って帰ってきた。
Aちゃんいわく「放射線量の測定もねえ。ああやって測ってみんながネットにアップしてって…」と何か疑問があるような様子。何が疑問なのか今はさっぱりわからないが、わかるかなと思えるぐらいになれるよう、Aちゃんに選んでもらった本で勉強するつもりだ。

2012年7月15日日曜日

電子教科書にもチェックペン

今月の初めのことになるが、東京国際ブックフェア、電子書籍フェアに行って来た。久しぶりに展示会を見ようかなと思ったのと、電子書籍を見たいなと思ったからだ。新しい楽天の電子書籍リーダーを触ってみたり、電子書籍関連の新たなサービスを見たり、色々面白いことはあったのだが、一番驚いたのが標題の件。
 東京書籍の教科書の電子版があったので、高校の英語教科書を見せていただいた。音声があるのはもちろん、練習問題も種類が豊富に思った。自分で教科書にマーカーをひくこともできるのだが、その色や質感も私好みだった。自分でメモを書く部分は、何か他のでも見たことがあるが、別途メモ帳に書くようになっていて、本文の全体の表示とはいっしょに見られない。保存の問題だそうだ。なんとなくわかるが、過去、ノートを書くより教科書に書き込みを好んでしていた身としては、惜しいなという感じがする。
 その場で説明をしてくださった方がこんなこともできますよ、と言って紹介されたことが2つ。その1つがチェックペン機能。自分でマーカーをした部分が黒く隠れるようになっている。生徒や先生から要望を聞いたところ、この機能の要望が一番多かったそうだ。このチェックペン、私の思い違いでなければ、私が中学生の時に発売が始まったような覚えがある。それまでは、同じようなことを自分で、蛍光ペンと色つきの透明下敷きでやっている友人もいた。チェックペンが発売され、定期試験になると次々と買う友人が現れた。当時、この方式には反対する人もいた。それまでは、テストの前になると、自分で単語カードを作ったり、まとめノートを作ったりしていたのが、チェックペンの登場で、安易に線を引くだけの勉強法になってしまったからだ。自分でまとめることが勉強になるのに…というのが反対派の主な主張。私も実は反対派の一人で、あまりチェックペンは使っていなかった。(高校になってあまり思いいれがない教科では使った気もするが)それが今となっては、先生からも電子書籍にいれてほしいと要望されるほどのものになったとは、なんか面白いなあという感じ。電子書籍ともなれば、暗記用に単語帳を作るなど、それこそチェックペンよりも簡単にできそうなのに、慣れているものは捨てがたいということなのか。とてもアナログな勉強法のような気がするが、いつまで続くのか興味がある。
 もう1つ紹介されたのが、本文と背景色を変える機能。うろ覚えで間違えているかもしれないが、実際の教科書は見やすいように紙が真っ白ではなくアイボリーになっている。電子教科書でも、背景を白、アイボリーで選択できる。また、教科書では、白地に黒文字だが、電子教科書では、黒地に白文字も選択できる。どちらが見やすいかは好みにもよるそうだが、色彩の感覚に障害がある場合や、そうでなくても、黒地に白文字のほうが見やすいと感じる確率のほうが多いそうだ。「じゃあ、教室でパワーポイントを見せる場合でも、黒地に白文字のほうが見やすいと感じる生徒が多いだろうということですか」と聞いたら、そうだとのこと。これからは黒地にしてみようかなと思った。
 これもまったく知らなかったことなのだが、今は、法律で教科書は買わなければいけない。(そう言えば、高校のときに体育か何かの教科書をどうせ使わないから買いたくないと駄々をこねたら先生にだめだと言われた記憶がある。)電子教科書は法律上で教科書と認められていないので、電子教科書はあくまでも副教材という位置づけ。(価格は6000円台だったような…)売れる売れないということではなく、将来的に電子教科書が正式に認められてからでは遅いので、今から開発しているとのことだった。まずは電子教科書実験校とかで使われるということなのだろう。

2012年7月1日日曜日

【本】日本語雑記帳

日本語雑記帳 (岩波新書)
日本語雑記帳 (岩波新書)


少し前になってしまったが、田中章夫先生の「日本語雑記帳」を読んだ。まえがきの
「日本語論」というと、えてして、日本語の特徴とか、独自性とかいった面が強調されがちだが、本書では、そうした特殊性よりも、近現代の日本語に見られる現象と、それをめぐる人々の意識・意見に注目して、日本語論議・コトバ談義の姿を描写してみたい。
にあるように、様々な事例と、それに関係する言語意識が紹介されている。
読んでいて、何となくずっと疑問に思っていたことが解けたり、自分の言語意識を考えさせられたりした。4月、日本に帰っていた時に書店で購入し、移動する電車の中でよく読んでいたのだが、読んでいる間、電車の中なのに思わず笑ってしまったことも何度もあった。
 以下、面白かったところ、自分の思ったことのメモ。

○「ティーム」か「チーム」か
2010年の甲子園の高校野球の放送で、アナウンサーは「ティーム」、中高年の解説者や監督は、ほとんどが「チーム」。
わたしは自分でたぶん「チーム」と言っているように思うし、意識的にも「ティーム」はなんか言うのが恥ずかしい。自分の言葉遣いが中高年だと、いい加減自覚すべきなのだろう。

○おとっつぁん、おとうさん、おとうちゃん
私は、母のことは「おかあさん」、父のことは「おとうちゃん」と呼んでいた。私の姉もそうで、私たち姉妹は「友だちの前でおとうちゃんって言うのはちょっと恥ずかしいよね」とよく言っていた。友だち同士で両親のことを話題にする時には、「父」というのも堅苦しいし、「おとうちゃん」とは言いたくないしで「うちの父親が…」と言っていた。原因を察するに、父の言葉遣いが「お母さん」で、母の言葉遣いが「お父ちゃん」だったものが、子どもに伝わったのだろう。
母が母方の私の祖父をどう呼んでいたか、最近、母が少し混乱し、私の祖父を「お父ちゃん」と呼ぶことから、知った。本書によると、昭和の初期はまだ「おとうさん、おかあさん」より、「おとうちゃん、おかあちゃん」「とうちゃん、かあちゃん」等が優勢だったのだという。母の言い方は、これによると、時代の優勢的な言い方だったのだ。父はというと、祖母を「ママ」と読んでいたのを小さい頃耳にして驚いた記憶がある。これまた本書によると、昭和初期にモダンな家庭で使われるようになったということだ。父がこれを私の母に対して使わなかったのは、恐らく母が嫌がったからなのではないかと思うが、その時には一般化した「お母さん」を父が使うようになったのだと思う。

○敬語の使い方
サークルやメンバー間の敬語についての卒業論文の話があった。高校時代の下級生の方がストレートに進学し、浪人した上級生よりも、大学の同じサークルで「先輩」になってしまった。この場合、サークルのメンバーの前では、かつての上級生もかつての下級生に敬語を使うが、サークル外では高校時代の上下関係に戻る傾向が強いという結論だった、というものだ。実は、私も身近に似たような例を聞いたことがある。過去は「同級生」だったが、大学で先輩後輩になってしまったというものだ。この時もサークルのメンバーの前では後輩が先輩に敬語を使うが、みんなが以内ところでは以前に戻るということだった。しかし、以前同級生ならまだしも、上下逆転はかなり気まずいなあと私などは思ってしまう。
敬意表現が年齢によるのか、立場によるのか、というのでは、テレビドラマを見ていて思ったことがある。会社内でのことだが、以前の先輩が、部下になったというケースがわりとよく見られるが、そこでの言葉遣いだ。上記のサークル例と同じように、全体の前と、二人だけになったのとでは違うこともあった。実際のところはどうなんだろう?

○大丈夫
大丈夫のさきがけは「瀬戸の花嫁」の中の「愛があるから大丈夫なの」あたりらしいとあった。それが近年は、その用法を著しく拡大して
「事務室あいてるかい?」「まだダイジョウブです」、「ケイタイ持ってきた?」「ダイジョブです」など、「大丈夫」のオンパレードである。
私も、最近、こんなところで「大丈夫」を使うのかと思っていることがあったのを思い出した。前に書いた「そうなんですね」(「そうなんですね」というあいづち「そうなんですね」というあいつち その2)と同じように、店員さんの応対でなのだが、こちらが「すみません」というと「大丈夫です」という返事。こちらが「すみません」と言っておいてなんなのだが、この返事にも多少違和感を感じた。私が思う返事は「いえいえ…」のようなものだが、「大丈夫です」と言われると「迷惑かけられたけど、大丈夫です」という気がする。(「いえいえ…」の場合は、「迷惑かけられてないですよ」という感じ。)この「大丈夫です」も何回か聞いたことがある。
本書の例を読んで、「大丈夫です」に違和感を感じていた私だが、自分の用法も年上の人が聞いたら違和感を覚える使い方をしているのかも、とちょっと思った。

○漱石も「全然悪いです」と言っていた
以前、twitterで話題になっていたが、「全然」を否定ではなく使う用法について。明治・大正のころは否定にも肯定にも呼応していたとのことだ。
知らなかったのは、「とても」が、本来は否定の形で結ばれるものだった、ということ。まあ、現在の「非常に」の意味で使われるようになったのは明治の中頃とあるので、知らなくて当然かもしれないが。

全体として思ったのが、中に出てくる例が、古い文献あり、台灣の事例あり、はたまたテレビでアナウンサーが言っていたものもあり、とにかく、アンテナがはりめぐらされているなということ。私もこんな風にピピッと感じていたいものだ。