2011年12月27日火曜日

私のメールはとても怖かった!-語助詞重要!-[中国語レッスン]

中国語レッスン4回目で最終日。今日は「語助詞」の練習だった。
 担当教師が用意してくれたプリントに沿って説明を受ける。説明はわかるけど、使えるかなあ…という疑問が頭の中に浮かびながら、進む。そして、最後に練習問題。「また授業を欠席した学生にメールする」というもの。実際にそういうメールは書かないと思うが(私ならわざわざメールしない)、でも、似たような状況は絶対起こるだろう!と思える状況。
 まずは、内容を先に考える。これも少し時間がかかったが、なんとか考えて、とりあえずスカイプのチャットで送ってみた。それに対してもいくつかアドバイスがあって、次は、その文に「語助詞」をつけないといけない。
 用意してくれたプリントの説明と例文を見ながら、つけられるものを探していく。途中で、私が書いたどの文に「語助詞」がつけられるかを教師に確認すると、私がつけられないと思っていたものにもつけられるとのこと。あ、そうか…。結局、自力でつけられたのは一つだけ。あとは、教師に教えてもらった。やはり、理解するのと、自分で使うのとの差はまだまだ大きい…。
 でも、やっとこれで、メールの例文を手にすることができた。これは大きな成果!これとプリントとにらめっこすれば、今後、なんとかやっていけるような気がする。
 「ちなみに、語助詞を全くつけなかったメールはどんな感じ?」と聞いてみると「うーん、人によるけど…」と言われ、「じゃあ、このメール受け取ったとしたら、どんな感じがすると思う?」と聞くと「壓力很大(すっごいプレッシャー)と答えが返ってきた。

人物:王小明
事情:又再一次缺席老師的課程

王小明同學你好:
你最近還好嗎?
因為你這禮拜也沒來上課,我有一點擔心你
你下禮拜如果再缺席的話,可能你沒辦法參加考試
如果你有什麽問題的話,來辦公室找我討論
上の太字の部分が「語助詞」。これがなくても意味は相手に通じる。「語助詞」があるのとないのとでは、受ける感じが全然違うらしい。
 書き方によっては、「語助詞」がつけられないことがある。例えば最後の部分は
如果你有什麽問題,可以跟我講一下。
と書いていたのだが、どうやら「一下」だと「語助詞」がつけられないので、上記のように書き方を変える必要があった。

 この4回の中国語レッスン、私にはとても収穫が多かった。そして、たくさんプリントを用意してくれて、今後、これは私の大事な参考資料になると思う。担当教師が「とても大変だった」と言っていたけれど、本当に時間をかけて作ってくれたのだなというのがわかるものだ。
感謝!!!

2011年12月24日土曜日

【本】「あなたの話はなぜ「通じない」のか」の方法をやってみた

あなたの話はなぜ「通じない」のか (ちくま文庫)
あなたの話はなぜ「通じない」のか (ちくま文庫)山田 ズーニー

作文の授業でこの本に書いてある方法を学生に紹介し、少しやってみた。結果はどうなるかわからないが…。

なぜこれを使ったか。私が読んで腑に落ちたこと、実際にやる方法が書いてあったこと、実際にやってみて考えが整理されたこと、等が理由だ。

読んでいてまず、「そうだよね」と思ったところ。
たとえば、高校生が「命」というテーマで20枚の論文を書く場合、問いが立たない頭では、とうてい字数が持たない。
「自分は問いが立たない、思考停止だ」と自覚していればまだいいのだが、多くの生徒は自分の意見がないという空白に耐えられない、何かで埋めようとする。
それでどうするかと言うと、凶悪殺人とか、無差別テロとか、わざわざ極端に悪い例を、引っぱってきて裁くのだ。「命」とお題を与えられて、「凶悪殺人」を持ち出せば、それは誰でも「悪い」と意見を言える。だがそれは、その生徒が心から言いたいことではない。
意見が言おうとして言えないために、わざわざ極端に悪い例を引っぱってきて裁く。
この論法を私は「悪魔の小論法」と呼んでいる。悪魔だって、呼び出さない人の前にはそう簡単に現われない。それをわざわざ探しにいくから悪魔の小論法。(p.66)
こういうのは、本当によくある。自分もやってしまいがちだ。

今回の作文の授業では、予め2人が書いた同じテーマに対する意見文を提示し、その元テーマに対して自分の意見を書く、という課題設定にした。この意見文だが、去年「気になるニュースを紹介し、自分の考え、思いを書く」という課題の際に、学生から提出された文章。たまたま、同じニュースを2人が選び、さらに、2人の意見が全く異なっていた。去年、それを発展させたいと思っていたのだが、実現できずにいて、今年利用させてもらうことにした。

この本の中では、色々なるほどと思うところがあったのだが、利用させていただいたところ。(+授業の流れ)

意見となぜ(p.48)
「意見となぜ」は、論理的なコミュニケーションの大原則だ!
考える道具→問い
「問い」という言葉は学生には慣れていないものなので「質問」に変えた。(授業で学生と話していて「疑問」にしたほうがよかったことに気づいた。)

問い発見の手段として2つが載っていたが、授業では「とにかくたくさん問いをたてること!一人最低15個!」と言ってやってもらった。実際、授業にネタを持っていく前に自分でもやってみたのだが、なかなか面白かった。学生はみんなうなりながらも考えて書いている。一つも書けない人は「思考停止」と本に書いてあります、と言いながら黒板に「思考停止」と書くと、みんな苦笑。(もしかして、「思考停止」という言葉の印象が中文と日本語では違うかも…。)
15個書けたという学生はいなかったが、10以上書いている学生は数人いた。だいたい7、8個書いた学生が多い。結構面白い問いもあったので、何人かに発表してもらった。自分が書いたものと違うのがかなりあるでしょ?と言うと、うんとうなづく学生たち。

問題発見力、多角的考察力、論理的思考力(p.85)
これが「問い」で説明できて、納得が言ってしまうのがこの本の最もいいなと思った部分。
この三つ、大事だってよく言うよね、と言うと学生も「うんうん」。
問題発見力→「問い」を発見する力。
多角的考察力→さまざまな角度から問いが立てられること。
論理的思考力→「問い」と「問い」を筋道立てて配列する力。

どうやって問いの視野を広げるか(p.76の図)
ここまで来て、ほぼ時間がいっぱいいっぱいになってしまったので、最後にこの図を紹介しておしまいにした。学生の「問い」はいくつかのカテゴリに分けられたのだが、それを示した後、いくつか発展的な問いがあったので、それってこれだよね、という感じで説明。

さあ、どんな文章を考えてくれるのだろう。こんなことを1回やっただけでどれだけ使えるか分からないが、少なくとも、困った時に取り出してくる道具にはなってくれるはず(と思いたい)。

山田ズーニーの本はなんどか買いたいリストに入れていたものの、本屋にとって手にとって、まあ今はいいかな、と買わずに帰ることが何度もあった。それを何度か繰り返し、なぜだか忘れてしまったが、前回ついに購入。買ってよかったと思った本。


2011年12月23日金曜日

聴解自律学習サポート4 学生の声(中間報告から)

学生に「計画通りに学習できているか、学習している感はあるか」等の質問に答える形で、中間報告をしてもらった。(この自律学習サポートの始まりについては→聴解自律学習サポート)そこから気づいたこと。

1、計画通りにはいかない
多くの学生が、当初の計画通りには進んでいないという回答。自分の計画が「現実的ではない計画を立てていた(太理想化)」「最初、全然やらないでこれではだめだと思い始めた」「夜疲れてしまってできなかった」等々の記述。
学生の計画書を見た時点で、「できないだろうな」と思っていたが、予想通り。でも、一度計画作成に失敗することも必要だと思う。自分がどれだけできるか、自分のことを知るのも、やってみなければわからない。
自分の計画していたことが「こんなに時間がかかるとは思わなかった」というのもあった。ドラマを聞いて、わからない単語を調べて…というのをやるのに、ものすごく時間がかかり、当初思っていたほど、「聞いている量が少ない」とのこと。文字起こしをしたことがある人なら経験済みだと思うが、聞いたものを書き取るというのは、予想以上に時間がかかる。こんなに時間がかかるの?と、私も最初は驚いたものだ。たぶんそれと似た感覚だろう。

2、学習に対する疑問
・この練習方法でいいのか
・このやり方だと量があまり聞けないが、これじゃ少ないんじゃないか
・好きなものだけ聞いていていいのか(偏っているのではないか)
・時々、何をやっているんだろう???と思ってしまう(こんなやり方で勉強になっているのか)
・聞いたものを書いているが、自分が書いたものがあっているのかわからない。


3、学習している感はあるか
これについては、思った以上に「ある」の回答が多かった。(まあ、教師に向けて書いているからというのもあるかも知れないが)ああよかった、と思ったのが、「以前はTAと会話していてわからないことが多かったけれど、それがわかるようになった。効果ある!と思った」という記述。別のところで効果があることを実感できるのは嬉しいものだ。

 疑問点等を書いてきた学生には、授業の休み時間等にひと通り聞いてみた。報告を出してもらってから2週間経ってしまったので「最初は全然わからなかったけれど、今は慣れてもう大丈夫」という学生もいた。最初はわからなかったが、慣れるとわかってきた、という学生は上記3の項目の中でも書いている学生がいた。
ニュースを聞いている学生は「言っていることはわかるのだが、流れみたいなものはよくわからない。」と言っていた。たぶん、私が英語を読んでいる時に感じたことと似ているのではないか、と感じた。一つ一つはわかるのだが、段落のつながりや段落を超えて全体を通して何を言いたいのか、というのはまた一段上の理解の気がする。
 
 今まで、リソースの情報を提供することばかりに私の関心があったが、学習方法についても情報があったほうがいいと強く感じた。それは、私が英語多読をやっていて助けられたこととも関係がある。英語多読の場合、本1冊リソース情報と学習方法について書いてあり、よく読んでいた。よくある挫折感、できない感にどう対処するかや、学習の今後の見通しなども、ある程度は情報として提供できると思う。そういうことも、リソース情報の提供と同じくらい、いやそれ以上に必要だと感じた。
 計画通りに行かない、ということについてもどう対処するか。Sapotaのようなサービスが中国語ネットでないかとさがしてみたが、うまくさがせなかった。twitterは学生がほとんど使っていないので、Sapotaは使えない。学生が普段アクセスするFacebook等を利用できるものは何かないのかなあ。学習記録のつけ方をスマホのアプリでさがすとか、何か考えたい。

2011年12月18日日曜日

「吧」の間違いに冷や汗![中国語レッスン]

中国語レッスン3回目。「語助詞」の使い方と私が書いた手紙の添削をしてもらった。
 「語助詞」語気助詞とも言うが、とにかく私はこれがメールの中で使えなくて困っていた。これがなくても意味は通じるのだが、でも、これがないとなんともぶっきらぼうな感じがするはず、とずっと思っていた。
 担当教師が、今日も丁寧なプリントを用意してくれて、それに沿って解説。意味はだいたいわかるんだけど、とは思っていたが、整理されたのを見ると、ああ、こういう時に使えばいいんだ、と改めて納得できた。

例えば、
1、「囉」→話の終わりの時につける。
これは、まったく使ったことがなかった。話の終わりというのはわかりやすいので使えると思う。
2、「呢」→質問文の時につける。
質問文でこれがないと、やはりぶっきらぼうな感じになるということだ。今まで何度やっていたことか…。

 次の「吧」の説明のところで、えっ?ちょっと待てよ。
 私はこの「吧」は、勝手に日本語の「でしょ?」のような意味合いで使っていた。でもプリントの例文を見ると、疑問文の最後にこれをつけると「不耐煩」とか「無奈」とか、とにかくあまりよくない意味合いが書いてある。担当教師に「疑問文に吧をつけるとよくない意味になるの?」と聞くと、うーんと考え、そうだ、とのこと。私がうろたえていると、「なんか例を言ってみて」と言われたので、つい最近前の学生に出したメールに使った気がしたので、その例を挙げた。私が使った例は、学生といっしょに食事する約束でいつにしようかという時に、「週末は確か(あなたは)授業があるよね」のような感じで「吧」を使ったのだ。それを聞いて担当教師「うーん、確かにそれはあんまりよくない感じになる」とのこと。
………かなりの衝撃、冷や汗……。「でしょ?」と言いたいときには「吧」ではなく「對吧」を使えばいいと教えてくれた。

 次は、手紙の添削。教師の助けを借りてなんとか書き終えることができた。この手紙では、去年中国語レッスンで習った「當」を使えることができたのは、自分としては嬉しかった。それ以外では、途中、内容が少なすぎると言われたので、いろいろ考えて書き足したものが、ほぼそのまま使えたのも「おお」という感じ。それでも、書き終わってどっと疲れた様子の私を見て、担当教師が「上達したよ」と言ってくれた言葉の嬉しかったこと。お世辞でもなぐさめでも、それでも言ってもらえると嬉しいものだ。(私は教師としてちゃんと「ほめ」ているかなと反省した。)

 来週は、最後のレッスン。私が使えない「語助詞」について、担当教師も私からのメールを何回か受け取って、そのことがわかったらしい。私がぶっきらぼうな感じがする、というのを「ああ、わかる」と言っていた。次週は「語助詞」の練習問題を用意してくれるそうだ。楽しみだ。

グーグルピンイン入力-「中英切替」と「読点入力」-

 何を触ってしまったのかわからないが、言語バーの「中」のところが「A」になったままで、押しても押しても「中」にならない。「A」は英文字入力なので、このままでは中国語入力ができない。あっちこっちさわっても、どうにもならず、結果、アンインストール、再インストール。それでもだめ。今度は、「自分の設定を残す」のチェックをはずし、もう一度アンインストール。再インストール。…………。これを3回繰り返し、はたと思いついた。もしかしてCapsLock?ピンポーン!何かの拍子にCapsLockキーを押してしまったようで、CapsLockを解除したら、無事に「中」が表示され、中国語入力ができるようになった。(今思えば、「中」のところをクリックして英文字入力した場合は「英」と表示される。「A」となった時点で、CapsLockが原因だったということか??)
 時間のかかったわりにあっけない解決であったが、途中あれこれグーグルピンイン入力をいろいろいじっている間に、わかったことがあった。
 
 普段、便利に使っているグーグルピンイン入力であるが、一つだけ不便に感じていることがあった。それは、少し前にブログにも書いたが(メールの書き方-たかが:、されど:-[中国語レッスン])「、」の入力ができないこと。中国語は「、」と「,」の二つの読点があって、これを使い分けている。普段はそんなに使うことはなく、一つですんでしまうのだが、それでもたまに使いたい状況が出てくる。

 さて、私が見つけたのは、この「、」を打つ方法。言語バーの一番右にある丸型の記号をクリックするといろいろ選ぶことができる。その中から「軟鍵盤」を選ぶと、これまた選択肢がいろいろ出てくる。どれかを押すと、キーボードが表示され、読点やら記号やら入力できる文字が出てくる。「、」を入力するためには、「標點符號」(簡体字表示なので私には少し読みづらかったが)を選ぶと、その中にある。そう言えば括弧も( )「 」以外は入力できないなあと思っていたが、それもこれで解決。
 
 その後、もう一つ。日本語入力だと、括弧は「かっこ」と入れると括弧の種類が表示されて便利だ。もしかしてと思って、ピンイン入力で「點」と入力したら、「丶」が出てきた!しかし、これが、微妙に違うように見える。フォントを大きくしてみると、やはり、微妙に違う。うーん、これはなんだろう??とりあえず、今後は、「軟鍵盤」で読点を入力することにする。

 私は台湾の注音は読めるが書けるほど覚えていなかったので、グーグルピンイン入力に出会うまでは、中国語入力にかなり苦労していた。うろ覚えの注音を使う、日本語で入力する、中国語のホームページから単語をコピーする、とにかくどれをとっても面倒なことこの上ない。そんな状態でも学生とMSNでチャットしていたこともあったのだから、今考えれば驚きだ。グーグルピンイン入力は私の中国語の世界を広げてくれた、というのは言い過ぎかもしれないが、そう言いたいぐらい影響があった。中国語入力が楽になり、まずネット検索をよくするようになった。メールも書くようになり、プリントに中国語を入力することも多くなった。
 よくここまで来たもんだな…と思った今日であった。

2011年12月16日金曜日

初級の会話で使える「~という」表現

今日見て「そうそう、そうなの」と思ったブログ記事。
“ミソカレギュニュ”ってなんだ???(台湾で日本語を教える毎日)

そこに書かれていたのは、学生の紹介でありがちなのは、
青森で有名なのは“ネブタ”と“アスパム”と“ミソカレギュウニュウ”です。
という言い方。それを
青森で有名なのは、①「ねぶた」という【祭り】        です。
②「アスパム」という【観光ビル】
③「みそカレー牛乳」という【ラーメン】 
のように「~という」を使って説明させるようにした、というもの。(とまでは詳しく書いていなかったが、私はそう理解した。) 

この「~という」の表現、初級の教科書ではあまりみないのだが、私も初級の会話の教材によく使っていた。初級の会話では自分の身の回りのことを表現する、ということを目的にしていたのだが、自分の出身地を話すのにしても、好きな食べ物を話すにしても、中国語まじりになってしまうのは避けて通れない。
台湾の地名では「台北」を「たいほく」と書く教科書もあれば「タイペイ」と書く教科書もあるのだが、それはどっちでもいいとして、じゃあ「嘉義はなんて言うんですか?」と聞かれて「かぎ」と言おうが「ジャーイー」と言おうが、その地名を知らない人にとっては何のことだかさっぱりわからない。はっきり言って、言い方などどちらでもいいのだ。「嘉義というところに住んでいます」と言ってはじめて、「嘉義」が地名のことだと理解してもらえ、「嘉義」がどこのことだかわからなくても、とりあえず、分かった気になって次の話を聞こうと思えるのだ。
食べ物についても、一つ一つ日本語に翻訳していくことなどできない。だいたい翻訳したからと言ってわかってもらえないことが多いだろう。「~というデザート」なのか「~という果物」なのか「~という食べ物」なのか、の区別をつければ少し前に進める。食べ物については、それを簡単に説明する方法として「~みたいなものです」という言い方もやったことがある。詳しい説明ができるレベルの学生なら、簡単な説明を練習するのだが、それもできないとなると、とりあえず「~みたい」と言ってお茶を濁しておくしかない。「~みたい」は、単語を覚えればよいだけなので楽なのだ。

「という」は、学生にとっては少し言い難いらしく、最初は、ぎこちない感じで言っていたが、「とYou」って言えばいいと言ったり、私が教材に何度も使ったせいで、1年間の最後にはみんなかなり便利に使ってくれるようになっていた。

2011年12月11日日曜日

言語学習の「気づき」[中国語レッスン]

2回目の中国語レッスン(1回目はこちら)、引き続きメールの書き方。担当教師が用意してくれたプリントで学習した。このプリントで、たぶん、担当教師が意図していなかったと思うところが私には非常に役に立った。

プリントは、メールの構成(正しい配置)、見本例、相手の言い方や末尾の言い方の用例、それに練習問題があった。この練習問題、担当教師の意図は「相手の名前や末尾の挨拶がないことに気づく」ということだったが、最初、私は、そのことに気がつかなかった。気がつかなかったというより、なんというか、見てすぐわかることなので、そこがポイントだとは思わなかった。(こういう練習問題、私も作っちゃってるな、とその時思った。)
練習問題の文章は、正式な書き方をしておらず(問題のポイントだったところ)、さらに、本文もかなり「口語的」なものだった。練習問題の後に参考例として、同じ内容を比較的固い言い方で書いた文章が書かれていた。これが実に、わかりやすかった!

元々、私の中国語は、口語のインプットアウトプットの方が圧倒的に多い。だから、自分で何か書いていても「これって、口語的だよなあ」と思っていたことがよくある。そして、たまに、頂いたメールの中から使える表現を抜き出して使っていたのだが、「これって、文体ごちゃごちゃだろうな」とも思っていた。

プリントの中の、口語的文と固い文を比較して読みながら感じたこと。
1、あ、頭の中でこう考えた時は、こう書き言葉に直せばいいんだ。
2、あ、これ、メールでよく見る言葉。こうやって使えばいいんだ。
上記1については、本当にあたり前のことなのだが「我爸爸」が「我父親」、「你們學校」が「貴校」。どちらも、私としては理解ができているが、こうやって並べてみると、すっと頭に入って来るし、今度から、こうやって切り替えよう、と思えた。
2は、例えば「因此」「能否」。特に「因此」はメールでよく見ていた。面白いのが「因此」で、口語的な文章の中ではこれにあたる言葉が書いてない。そうか書くときはもう少しロジックを考えて接続詞を使ったほうがいいんだと思った。「能否」は、私が見るのは「可否」だが、たぶん同じようなものだろう。(確認すればよかった)例文は「能否請」になっていて、「これは請~と言いたい時に、書く時はこう書けばいいの?」と聞くと、そうだという答え。「請~」は、メールではよく使っていたので、「おお使えるぞ!」と感じた。

担当教師からの解説でわかったこと。末尾によく使われる「祝恭喜發財」などの「祝」だが、「祝」の字の後で改行し、続きは次の行に書くのが正式だそうだ。言われて少し考えたが、覚えがない。それから、「貴校」の前は二文字開けること。相手をさす尊敬語、自分をさす謙譲語の前は二文字空白部分をおくことで敬意を表す。これは見たことがある。「公文(公式文書)」で見かけたような気がするが、見た時は、変に空いているなとしか思わなかった。

プリントはその後、実際にメールを書くという練習問題が二問あった。一問目は「大学でクリスマスパーティーを開催するのでその招待状を学生宛にメールする」というもの。プリントの最初の見本例が一つは「長いこと会っていない友だちに宛てたメール」、もう一つが「大学のイベントの招待メール」で、この2つ目の例を使えばできるものだった。その場で書き、担当教師に見せる。これはまあ簡単だった。次の問題が「長いこと会っていない友だちに書くメール」で、これは見本例の1を参考にするものだと思うが、そのままだとちょっと簡単すぎるし、実際、私はたぶんそんなメールを書かない。そこで、実際にこういうメールを送る相手には誰がいるだろう…と考えて、思いついたのが、以前の職場でお世話になった先生。私からはかなり目上にあたり、「正式な文書」を書く相手だ。早速、担当教師に「メールを出す相手を変えていい?」と交渉し、交渉成立。これは次回までの宿題になった。自分としては、実際的ないい課題だと思ったが、時間をおいて考えてみると、かなりチャレンジング。でも、本当に送りたいなと思ったし(実際、大変ご無沙汰していて失礼極まりない)、是非、完成させたい。

今、実は別の授業用に第二言語習得についての話をするべく準備しているのだが、その為に何冊か本を読み返している。ちょうど「アウトプット仮説」を読んだところで
理解可能なインプットだけでは十分ではなく習得にはアウトプットも必要だと言われている。それは、アウトプットをすることにより、(1)自分が言いたいことと言えることのギャップに気づくことができ、(2)言語形式に注意を向けることができる、(後略)
このことが、とても実感できた1時間のレッスンだった。見本例もあり、個々の言い回しについても理解していたものもあり、わからなかったものは解説してもらったのだが、実際に手を動かして書いてみると、いろいろ迷うことがある。また、「招待状」についても、クリスマスパーティーはしないと思うが、例えば「研修会」などを開催してその招待状メールを送るというのは、可能性がないわけではない。「クリスマスパーティーを研修会に変えたら、ここはどう変えればいいんだろう?」など、それまで漠然と見ていたものを、もっと注意してみるようになる。(というより、この手のメールは受け取っていたのだが、今までは、書き方や言葉遣いに注意して見てこなかった。)今までも、もらったメールの中で使える言い回しには注意していたつもりだったが、でも、やはり何か心もとなかった。これから受け取る中国語メールの見方が、変わるような気がする。



2011年12月9日金曜日

台湾の高校の第二外国語教育のニュースから

@AIBYCHANのツイートから知ったニュース。以下が記事。

高中第二外語 日文最夯

  • 2011-12-07
  •  
  • 【中央社】
     教育部今天表示,100學年度第1學期高中開設第二外語課程,總計233所高中開設1585班,共有5萬4658名學生修讀第二外語課程,其中以日文最多,其次是法文。
     教育部持續補助高中開設第二外語課程,100學年度第1學期高中開設第二外語課程有233所高中、1585班,語種包含日語、法語、德語、西語、韓語、拉丁語、義大利語、俄語、越南語及印尼語,開設學校數較99學年度第1學期增加8校、班級數增加257班,人數增加8104人。
     教育部統計,學生修習第二外語以日文人數最多,有將近3萬8000人,初步分析原因是台灣與日本地理位置相近,還有許多多媒體素材是日文所致。
     教育部表示,學習第二外語能增加競爭優勢,未來教育部將持續加強辦理第二外語課程,並鼓勵學校開設更多語種的第二外語課程,以培育更多優質的第二外語人才。1001207
教育部(文部省)の発表によると、今学年度の第一学期に第二外国語を実施した高校は233校、1585クラス、全部で5万4658人が履修した。昨年度の第一学期に比べ、学校数では8校、257クラス、人数では8104人の増加。
外国語の種類は、日本語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、韓国語、ラテン語、イタリア語、ロシア語、ベトナム語、インドネシア語がある。最も履修人数が多いのが日本語で3万8000人、台湾と日本が地理的に近いこと、各種メディアで日本語のものが多いことがその原因であると分析している。
 この日本語の履修者が多いことの分析だが、ここで言われていることはまあよく言われることで、ちょっと「そうかなあ」と思わないこともない。記事の中では、日本語についで多いのがフランス語だとあるので、たぶん、並んでいる外国語は履修者が多い順になっているのだと思う。それを見ると、韓国のほうが地理的にも近いしメディアでの接触する機会も多いと思うのに、ドイツ語、スペイン語よりも下になっている。私が思う日本語が多いという理由は、今まで日本語が多かったからそれを継続していること、日本語を教える人材なら簡単に見つけられること、だと思う。
 実際、以前の勤務校で、大学評価(評鑑)の際に「日本語以外にも第二外国語科目を設置して、学生の選択肢を増やすように」と言われたが、実際に、じゃあ、どうやって教員を確保するかというと、これが難しい。都会ならば、選択肢もあるのかも知れないが、そうでなければ外国語を教えられる人などそう見つかるものでもない。高校の教員の任用がどうなっているかは知らないが、大学の場合、大学で教えられる学歴を持ち、なおかつ、平日の昼間にちょっとだけ来てくれるという人、と考えればそうそういないことがわかるだろう。実際、ドイツ語が一般教養科目で選択できた時もあるのだが、私が見ていた限りでは、ある一時期だけだった。先の大学評価のコメントを受けて話していて候補にあがったのは、同じ県内の大学にいる教員に来てもらうということ。開設できる科目は、教員が確保できる科目、ということだ。世の中がどうのとか、学生の学習には何がいいかとかの問題ではない、というか、そういう問題にできない。
 高校のことはよく知らないが、でも、似たような問題はあるのではないかと思う。第二外国語だけを教えて授業数が確保されることはそうそうないと思うので、複数校かけもち、という状況になるのではないだろうか。或いは、近くの大学で教えている教員に来てもらうこともあるだろう。とにかく、何を科目にするか、は実際問題の解決が必要なのだ。

 以前読んだ「外国語教育のリ・デザイン」で、それはそうだ、と思った部分。
Candelier,M.&G. Hermann-Brennecke(1993)が指摘しているように、学習言語の選択は情報の有無で大きく変わる。たしかに何も情報のない環境で「入学後はどの外国語を学びますか」と聞かれたら、「マレー・インドネシア語をやりたい」と答える若者は、ふつうのいまの日本の高校生の中にはいないだろう。(中略)したがって何も情報を与えずに学習言語の選択を迫るのは、社会に存在している各言語に対するステレオタイプのイメージを助長する以外のなにものでもない。確かにそのほうが事務的には新学期の準備が楽であろう。しかし未来に羽ばたいていく若者の教育現場である大学では、規成の観念を打ち壊し、新しい価値を生み出していくことこそが使命のはずである。

 今日の記事を読んで思ったのは、もう少し、理念とか思想がほしいなということ。それがないと「第二外国語をしないと」「何ならできる?」という流れになってしまいがちだ。

 最後にもう一つ。「優質的第二外語人才」ってどんな人のことをイメージしているんだろう?

    

2011年12月4日日曜日

メールの書き方-たかが:、されど:-[中国語レッスン]

ブログ文章作成をした中国語レッスンから1年(学習支援と自律学習[中国語レッスン])。きのうから、また中国語レッスンを始めた。今回のテーマは、メールの書き方(自分で設定)。ブログ文章作成もやりたいことではあるが、先学期から授業担当している学校で、学生や助手の人からメールが来ることがよくある。書けないことはないのだが、自分で書いていて「なんかなあ」と思うことが多く、メールが来るたびに「返事書かなきゃ」といやあな気持ちになっていたので、この気持ちを解消したいと思った。
 きのうは、レッスン第1回目。担当教師(学生)からの課題は「記号の使い方」。
 レッスン開始前に、メールを送っていたのだが、その中で私が使った記号に間違いがあり、それを直すことと、その他の記号の使い方を教えてくれた。
 私が間違えた記号というのは「;」。メールの最初に名前を書いてその後ろにつけたもので、正しくは「:」。私も気がついてはいたのだが、「ま、どっちでもいいか」という気持ちだった。私が「;」にしてしまったのは、入力で「:」をどうやって打てばいいかわからなかったからだ。
 中国語の入力には、私はグーグルのピンイン入力を使っている。見た目のキーボードと、入力し出てくるものが違うので、特に記号を打つときなどはときどきどこを打てばいいかわからない。「どっちでもよくない」ことがわかり、あれこれやったあげく、今までの「;」を打つときにShiftを押せば出てくることがわかった。
 このことで思ったことは、「どっちでもいい」「大したことない」という感覚ってあるなあということ。学生が書く作文を見ていて、読点や句点が中国語になっていることがよくある。読点や句点が中国語、というのは、「、」や「。」が下ではなく中心に打ってあるのだ。これは、フォントを日本語フォントに変えればすむことなのだが、学生はこの一手間をかけない。そしてそれは、私が「:」の打ち方がわからなくて、一手間かけなかったことと同じだ。
 台湾で、日本語が書いてあるものをよく見かけるが、そこにもこの「、」「。」が真ん中になっているものが実はよくある。これを見ると私は「なんだかなあ」と思ってしまう。文章全体がなんとなく胡散臭く見えてきてしまったりする。(心狭い!)自分が書く時も、たかが一手間をかけたほうがいいのだろう。
 きのうのレッスンでは、「;」「:」に加え、「、」「,」の違い、「;」「:」の文章中での使い方についても学習した。今まで文章を見ながらなんとなく思っていたことだが、説明してもらってすっきりした気がする。
 「、」と「,」だが、これも今使っているグーグルピンイン入力だと入力のしかたがわからない。今までは「ま、いいか」と思っていたが、これも入力のしかたをさがすか、さもなくば、コピー&ペーストで直していかないといけないと思った。昨日、少しだけさがしてみたのだが、まだ入力方法はわからない。(コピー&ペーストは面倒だからできれば避けたいなあ)

 以下、次のレッスンのためのメモ。
やりたいこと。
①自分が書いたものを見て直してもらいたい。特に、私が書くものはあっさりしすぎている気がするので(日本語メールでも、以前、父に「電報メール」と言われたことがあるが)、もう少し温かみのある書き方をするのにはどうしたらいいか。
② ①のことは、私が終助詞を使えないことが原因の一つだと自分では思っているので、終助詞の使い方を知りたい。

 去年のレッスンの時にも思ったのだが、内容的に相手に伝わるものだと、それ以上はあまりコメントがもらえない。私の学習だから要望は担当教師(学生)に伝えないと。