2010年5月30日日曜日

初つぶやき と 百貨店

twitterに登録してから、ずっとヒト様ののぞき見ばかりしていたが、初めて「つぶやいて」みた。そうしたら、フォローする人が出てきて、ちょっとびっくり(することでもないのかもしれないが)し、また、申し訳ないな、と思った。私は、twitterのところに自分が何者であるかというのを全く書いてなかったのだが、私の「つぶやき」は、普段の私の興味とは、少し違う関連のもので、私をフォローしても、今後何もないだろうに…と思ったのだ。まあ、意味がないと思えば、フォローをやめればいいだけのことだし、大したことではないが、それでも、「ああ、こんな風に人が興味を持つんだ」と、使って反応があって、その力に、なんというか驚いた。
せっかくだから、なんで初めてつぶやいたのか、ということと、つぶやきをもう少し文章にしてみようと思う。
twitterに登録しては見たものの、多くの人と同じ(だと思う)ように、いったいこれをどう使うのかよくわからなかった。今していることをつぶやく、というのも趣味ではない。いろいろつぶやきを見ているうちに、何かニュースなどで気になったことがあったときにつぶやいてみようかな、と漠然と思っていた。
それで、今回の下記の記事につぶやいてみたのだ。

日経ビジネスオンライン「百貨店が復活する日」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100520/214533/

日経ビジネスオンラインのこの記事は連載物で、私は連載の最初から読んでいた。百貨店は、私にとって、自分の仕事とは全く関係ないが、父が百貨店に勤めていたことから、なんとなく思い入れがある。父は「デパート」という言葉はほとんど使ったことがなかったのではないだろうか。「百貨」の「百貨店」という気持ちがあったのだろう。その影響でか、家族も「百貨店」ということが多い。そして、最近よく見る「百貨店業界の不振」という記事を、どうにか復活してほしい、という思いで読んでいた。だから「百貨店が復活する日」という記事は「どんなことを言うのだろう」と期待していた。
連載の前の記事で「日本の衣料アパレル消費が落ち込み、衣料分野へのシフトをすすめた百貨店がその波をもろにかぶった」というのは、なるほど、と納得するものだった。しかし、今回の記事には、????だった。
 じゃあ、どうすればいいのか? 外に任せればいいのです。(中略)
今生きのいいブランドやショップを、テナントとして契約すればいい。百貨店側に求められるのは、マーチャンダイジングの能力ではなく、どんなブランドに場所を貸すのが一番売り場として魅力的になるか、という「場貸し」のプロデュース力、というわけです。

私は、百貨店業界の人間でもないし、それに関することに携わっているのでもなく、単なる一消費者である。だから、この「百貨店が復活する日」の連載を読んで、本当に理解したのかどうかは、はっきり言って自信がない。この???も、他の人から見れば、「なーに、わかってないの」と思われるかもしれない。確かに、私は記事内に書かれている「自主マーチャンダイジング」については今ひとつ理解しているとは言い難い。でも、???なのだ。(だからつぶやいてみた。「百貨店復活」という言葉に対する期待との落差が大きかったから。)
「場貸し」は、百貨店がもうずっと以前からやっていることだと、私は思っていた。父が生前嘆いていたのも「百貨店が場を貸すだけのものになってしまった」ということだった。どこのなんとかというブランドが○○百貨店に入った、というのはよくあることだ。最近の事情には疎いので、ずいぶん前の話になるが、GAPが初めて百貨店に入った時もそうだった。そして、そういう百貨店内のショップには、百貨店の社員とショップから来ている店員とがいる、というのが今の状態のように見える。それが、どう変わるというのだろう…。

記事の中で、「デパ地下」のことが書いてあった。
百貨店は早々に自主マーチャンダイジングを諦め、場所貸しのプロに徹し、飲食のプロや欧州のブランド菓子業界などに、店頭作りは任せました。その結果、デパ地下を舞台に健全な競争が起き、もともと駅前立地という優位性もあって、デパ地下は百貨店にとって数少ないお客さんの呼べる場所になりました。
デパ地下は確かに元気だ。 デパ地下は、「洋菓子」「和菓子」「惣菜」のように、わりと場所が分かれて買い物しやすい作りになっているように感じる。バレンタインデー近くになると、チョコレート売り場が増え、それこそ迷いに迷うほどチョコレートを選ぶことができる。
それを、他の売り場に応用することはできるんだろうか。場貸しをして、それをジャンルごとに分けて…というのは、どうなるんだろう。仕事用のスーツはスーツで、いろいろなショップのものを並べてほしい!と思っていたことがあるが、でも、場貸しで、そんな対応ができるようになるとは、あまり想像できない。
それから、食品は「買ってみようかな」というのが気軽にできる。単価が安いものが多いし、よければまた買う、だめだったら「失敗だったね。アハハ」ですむ。洋服やその他、多少高いもの、後に残るものとは、買い方が違うように思う。
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私は元々百貨店がわりと好きで、今でもどちらかというと百貨店で買い物することが多い。もしかすると、今の時代の多くの人とは感覚が違うのかも…とも思えてきた。考えてもよくわからないのだが、でも、百貨店は是非、復活してほしい。

2010年5月29日土曜日

さびしいですか

今の学校で仕事を初めて10年になるが、こないだ「招生」に初めて行ってきた。「招生」は、いわゆる大学の営業活動で、高校へ行って「是非、うちの学校に来て下さい!」ってなことをやる。
「招生」がなんたるかも知らず、いきなり「一人で1クラス担当」とか言われ、初回は、周りに面倒がられるほど、「何を話せばいいの?!」と質問しまくり、あせっていたが、どうにか慣れてきた。(やはり外人に任せるのは心配だったのか、「招生中心」の先生が私のクラスには来てくれて、学校の説明をしてくれた。)
慣れてきた3回目。一人1クラスで50分。50分も話すことないし、と思って、動画も用意していったのだが、始まりが予定より多少遅く、さらに、一人でいろいろな配布物を配っていると結構時間がかかってしまったので、PCは使わずに話しはじめた。途中で、また「招生中心」の先生が来てくれて、学校の説明は代わりにやってくれた。日本語を履修しているクラスがいつも担当なのだが、それでも学校によって、日本語が通じるか通じないかは差がある。3回目のこの学校は結構通じるようで、私も日文中文混ぜながら話していた。それでも、一通り話をしたら、20分ぐらいでネタはつきた…。

私 「なんか質問ないですか?」
シーン
私 「え~、全く興味がないってこと??」と高校生相手に、泣きを見せて訴えると、

学生 「先生、出身地は?」(日本語)
私 「あ、東京です」
へえ~~

ちょっと、盛り上がる。

学生 「宿舎はありますか?」(中文)
私 「ありますよ。・・・・・・」中文で説明。

また、シーン。

学生 「先生、結婚していますか?」(日本語)
お、定番の質問。(なぜか、定番)
私 「していません。」

すかさず、別の男の子が手をあげる。
私 「はい、どうぞ」






学生 「さびしいですか?」(日本語)

私、爆笑。
なんというか、うますぎる。

私「さびしくないです。」

学生 「彼氏はありますか?」
別の学生 「『いますか』でしょ。」
私 「100人います。」(いつもこう答える)

その後は、
学生 「何型ですか?」(日本語)
私 「何型に見える?」
学生 「A型。」
私 「ブー」
(このブーをみんながなぜか、リピートする)
私 「O型です。」
質問した学生が嬉しそうに、「私もです。」(日本語)
そして、握手。

私 「みんなは何型?」
私が聞いて手を上げてもらうと、AB型がいない。(後ろで先生が「1人います」と教えてくれた)

ってなことをやっていて、ある学生は、好きなアイドルの写真を見せて
学生 「先生、知っていますか。」
私 「あ、『メイさまの執事』の人」
学生 「そうです。」
私 「好きなの?」
学生 「はい。」

学生 「アニメは好きですか」
私 「好きだけど、おばさんだから、新しいのはあまり知らないの」
(世の中のおばさん、すみません。おばさんだからは、ただの根拠のない言い訳です)
学生は、とてもがっかりした顔をしていた。
ごめんなさい。

今度、「招生」に行く前には、しっかりアニメの会話もできるように、練習しておこう。

高校生のみなさん、それから、先生、
楽しい時間をありがとう。

2010年5月28日金曜日

わくわく(電子書籍)

この間から、iTouchを買おうかiPadを買おうか、という気持ちがむくむく湧いてきて、いろいろiPad関連の記事を読んでいる。その中で、今日見たiPad用の絵本や、電子書籍のデモは、「おー」と久々にわくわくさせられた。
ちなみに、私が見た電子書籍のデモは下記。
http://next.24live.jp/archives/2373

絵本の絵が動く、というのは、本当に面白い。英語多読で全く絵本を読まなかったが(身近になかったし、買ったら高いという理由で)、これだったらお金を払って見てみようかと思った。子どもの時も、立体の飛び出す絵本は大好きだったし、その中でも、自分の手で動かせるものは、わくわくさせられたが、それ以上のものがある(に違いない)。ネット上でフリーの絵本があったが、それは見てももう1回そのサイトを見にいこうという気にはならなかった。そのサイトもとてもよかったし、魅力的ではあった。でも、絵本がネット上に載っただけのこと。動く絵本というのはPCならではだ。
デモの中では、医学かなにか体の構造の図があったが、立体的に見ることができ、最初に前を見てその後体をぐるっと一周し…、それから、一部を拡大し、というように見ていくことができる。これなどは、いろいろな教材に使えるし、使ったらとても面白い。画面で見ると引き付けられるし、それで「なんだろう???」という気持ちになると、解説を見る気が起きる。(今日、最初に「不思議の国のアリス」の絵本を見たとき、これ何?と本文に目を向けた。) 日本の解説本みたいなのがあるが、それが、こういう電子書籍になれば、見ていてわくわくするものになる気がする。
もう一つ。電子書籍ではないのだが、最近、考えていること。学会やら何かの集まりやらで、Newsletterがある。最近は、紙で印刷しないでネット上で配布されるのだが、その形式は従来の紙に印刷されるものがPDFになった、というものが多い。たぶん大きさとしてはA4ぐらいなんだと思うが、そうなると、PC上ではスクロールしないといけないし、写真等は、自分で拡大して見ないとよく見えない。こういうのも、紙で配ることを前提とした形式ではなく、最初からネット上で見ることを前提とした作りにできないのだろうか。たぶんできるんだろうけれど(ときどき、電子カタログとかであるが)、素人には敷居が高すぎる。そういえば、大手の会社が作っているようなPC用のカタログにしても、あまり見やすいものではない。そういえば、ソフトの説明書もPDF形式が多いなあ。あれもあまり見やすいものではない。何か、PC上で見ることを前提にした、Newsletterなどが見やすい形式であり、それが、素人でも手軽に作れるようなソフトはできてくれないだろうか。そう、ホームページを作るソフトのようなもの。
最後に、電子書籍に戻るが、私は「こういうの作りたい!」と真剣に思った。その前にiPad、やはり買おうかな。

追記:私の調べ方が悪かったらしく、ソフトはあるらしい。まだ調べている途中。

2010年5月23日日曜日

あなたが決めるべきこと

ある記事を読んでいて、ふと思った。
ある記事というのは
「フィンランド人の家庭に招かれたときに、これはよくヨーロッパではあるのですが、食後の飲み物はコーヒーにするか紅茶にするかといったときに、日本人はみんな奥ゆかしい方で『どちらでも』と言うんですね。レストランでコーヒーにしますか紅茶にしますかと言われても『どちらでも』と言う人はあまりいないと思いますが、何となく家庭に招かれると相手のことを思いやって『いや、どっちでもご都合のいいほうでいいですよ』と答えてしまうんです。これをやると結構ヨーロッパ人というのは怒るんですよね。要は、あなたが決めるべきことを何で私が決めなくちゃいけないのかということなんです。決定すべきことを任されてしまうことほど嫌なことはないと考えるんですね」
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100424/223139/?P=3

私がふと思ったというのは、この中の「あなたが決めるべきことをなんで私が決めなくちゃいけないのか。」という部分だ。
最近は既に慣れてしまったからかあまり感じなくなったが、以前こんなことが何回かあった。
授業にも出てこず、テストも受けていない、或いは、テストだけは受けたが結果が芳しくない、という学生が
「先生、どうしたらいいですか。」
「さあ、授業にも出てこない、テストも受けないじゃ、もうしょうがないですね。」
「先生、何か、課題を出してもらえませんか。」
「ふーん、課題ねえ。どんな課題?」
「先生がいいと思うものなら何でもいいです。」
ここで、私はよく思ったのだ。なんで、授業にも出てこない、テストもできない学生のために、私が課題を考えてあげなければいけないのか。自分が挽回したいのなら、自分で課題を考え、それによって認めてもらおうと思うのが筋ではないか。
以前は、「課題をくれ」と学生に頼まれ、あまりむげに断るのもと思い、「自分で課題を考え、まずそのプランを持ってこい」と言っていたのだが、当たり前かもしれないが、私が満足するような、というより、私が許せるようなプランを持ってきた学生など一人もいなかった。何度がやりとりをするのだが、どうもコミュニケーション不全に陥る。このようなコミュニケーション不全を何度か経験したあと、方針転換し、「なんとなく自分の頭の中で〈こういうのが正解〉的なものがある時はそれをはっきりと提示する。さもないと、学生がワケの分からない状態になる」ということにした。
対症療法的に、こちらの対応の仕方を変えたのだが、「なぜそうなるのか」ということまでは、実は考えていなかった。
それが、今回、最初に書いた記事を見て、「もしかして…」と思ったのだ。私もこの記事の中にあるような、人の家にいって紅茶かコーヒーかを問われたら、「どちらでも」と答える人である。「どちらでも」と答えて相手が不快になったら、意外な気持ちになると思う。それを、上記の学生にあてはめて考えれば、なんだ、同じことなのだ。学生が自分の考えを言わず、私に判断を委ねたのは、教師に対しての礼儀だったからだと考えられる。「余計なことをお願いするのですから、先生の都合のいいようにしてください。」ということなのだ。
そうだったのかも。

2010年5月5日水曜日

私に覚えてほしかったら自分の名前を書け

 K先生の研究室で暇だったので、本棚にあった本を拝借し「サヨナラ、学校化社会」を読んでいた。その中にあった一節「私に覚えてほしかったら自分の名前を書け」。
 
大学は、「出なくて単位とるのも芸のうち」だから出席は取らないが、その替りに評価カードのようなものを作って、授業のフィードバックをもらう。それは、評価の対象にはしないし、批判したかったら匿名でも構わない。そして、標題の言葉になる、
という流れ。
 なるほど。これは、いい!!と思った。来年の2年生でやってみようか。

2010年5月1日土曜日

webマンガ

偶然、「コミックエッセイ劇場」というweb上で見られるマンガのサイトを見つけた。詳細はまだよく見ていないが、「日本人の知らない日本語」だとか「ダーリンは外国人」だとかを出版しているところがやっているみたい。お金をかけずにマンガを読める、というところがよいけれど、このまま学生にURLを渡しても、読むところにいくまでや、「すすむ」をクリックすることなどが、わかりにくいかなあと思った。それから、学生が読んで面白そうなものをいくつかピックアップするのも大切か。

コミックエッセイ劇場
http://www.comic-essay.com/index.html

と思って、私もパラパラ読んでみたけれど、週に2回の更新で、そんなに数が多いわけでもなく、追っていってもずっと連載しているようでもなさそうだし、自分でパラパラめくってみることを勧めるほうがいいかもしれない。私が読んでいけそうだと思ったのは、「英語がペラペラになりました」カタカナ語が解説してあって、学生にもよいかも。いっしょになって笑えそうだし。